いよいよローマです。

序盤、大きな山場といってもいいでしょう。

人物、山ほど出てきます。

戦い、すごく多いです。

そして入試にもよく出ます。

 

【共和政ローマ】

ローマを作ったのは「ラテン人」。ローマとラテンは同じ語源らしい。

エトルリア人をラテン人が追放。

最初は貴族が、のちに平民が政治を動かしていくのはギリシャ(アテナイ)そっくり。

ローマの中にすべてがある、という説を展開したのがフォン・ランケ。

 

エトルリア人をラテン人が追放したのが前509年。

(アケメネス朝ペルシャの統一はBC525、クレイステネスの改革がBC508!)

ローマはギリシャから重装歩兵形態を学ぶ(ファランクス)

①軍道の建設(アッピア街道)

②植民市、同盟市、自治市に分けて統治

③平民の地位上昇・・・イタリア統一にがんばったから

【ローマの政治の仕組み】

最高官職2名…コンスル

やばいときに登場…元老院(セナトゥス)

コンスルの中にも一人、ディクタトルが非常時には政治をする

護民官(BC494設置)…平民から選ばれ、元老院とコンスルに対し拒否権あり

貴族はパトリキ、平民はプレブス、最初は貴族が政治を牛耳る

※聖山事件…BC494、平民が平民会と護民官を認めないなら軍役を拒むといって聖山に立てこもった事件。

BC367 リキニウス・セクスティウス法(コンスルの1人は平民から)

BC287 ホルテンシウス法(平民官の議決が元老院の許可なく法律になる)

 

「ローマの政治は親分と子分(クリエンテーラ)」・・・小スキピオの家庭教師ポリビアスの言葉

「パンとサーカス」・・・保護と奉仕の関係(親分が子分にメシをおごることで、子分も何かあったときはがんばる)

 

【ポエニ戦争】・・・ローマ対カルタゴ(アフリカ北部)

BC264 第一回ポエニ戦争 ローマの勝利 初めての属州シチリアを獲得

第二回ポエニ戦争 ハンニバルおじいちゃんの逆襲 象でアルプスを超える

カンナエでローマを倒すが、ローマの抵抗にあい、引き返す途中でザマで大スキピオにカンナエをぱくられて倒される(死んではいない)

第三回ポエニ戦争 カルタゴは徹底的に破壊 多くの奴隷が出現

 

BC146年 アンティゴノス朝マケドニアを倒し、ギリシャを属州化

 

【ローマの没落】

ハンニバルとの戦いでイタリアが荒廃→自作農が減る→安価な穀物が増える→無産市民が増える→捕虜を奴隷として大規模な農業経営(ラティフンディア)→自作農が減って重装歩兵がいなくなる→護民官のグラックス兄弟が自作農を復活させようとする→元老院に反対され失敗(元老院は大土地所有者のノビレスが多かったため)

 

【内乱の一世紀】

マリウス(民衆派)対スラ(閥族派)

マリウスは無産市民を傭兵として雇おうと思っていた

BC73 スパルタクスの反乱

→クラッススの鎮圧

第一回三頭会議…カエサル、ポンペイウス、クラッスス

第二回三頭政治…オクタヴィアヌス、アントニウス、レピドゥス

BC31年、「強大となったローマには王が必要である」と考えたオクタウィアヌスがクレオパトラと結んだアントニウスを「ア」「ク」ティウムの海戦によりプトレマイオス朝も滅亡させ、実権を握った。

 

【プリンキパトゥスの時代】

オクタヴィアヌスの時代=パクス・ロマーナ

「帝政ローマ」の開始

前期帝政(プリンキパードゥス)

市民の第一人者「プリンケプス」として君臨

いわば「元首」

「皇帝崇拝の時代」…ローマは多神教

 

アウグストゥスの死後の皇帝

(これが面白い!)

・ティベリウス…キリスト殺害時の皇帝

・カリギュラ…とにかく暴君。暗殺時には娘を壁にたたきつけて殺された。

・クラウディウス…悪女アグリッピナなど女運が悪い。

・ネロ…ペテロとパウロを殺害

 

【五賢帝】

ネルヴァ…一応、五賢帝の最初。

トラヤヌス…ローマの領域が最大になった。ただし衰退のはじまり

ハドリアヌス…城砦を築いた。世界遺産

アントニウス・ピウス

マルクス・アウレリウス・アントニヌス…ストア派哲学者、「哲人皇帝」『自省録』

ラティフンディアからコロナートゥス(自給自足)

→カラカラ(浴場をつくったのが一番有名だが、なかなか評判のよい皇帝。下水道も完備)

 

【ドミナートゥスの時代】…軍人皇帝時代(50年で「我こそ皇帝!が26人!」)

広大なローマを一人では治められない

→「三世紀の危機」

※なお、ドミナートゥスの語源は「ドミヌス」主人。つまり平等社会であったローマの崩壊を意味している

ディオクレティアヌスが即位(最後のキリスト教迫害)→東ローマを治める(西はほっとく)

※ササン朝が強く、経済的に繁栄

→コンスタンティヌスが即位、都をコンスタンティノープルに置く

コロヌス移動禁止令を出し、奴隷の移動を禁じる

325年 コンスタンティヌスはアリウス派を異端とする(二ケーア公会議)

392年 皇帝テオドシウスによるキリスト教国教化

(ローマの分裂)

なお、375年からゲルマン民族の大移動