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今日の 破・常識!


信長は ある人物と出会い 新しいアイディアを思いつく!


テラ(地球)が見ていた日本の歴史の真実! 41


信長の真実の野望! 5


織田信長は 走り続けながら 状況を把握し 

判断することが出来たそうですよ。

彼は 自分が進む方向をしっかりと定め そして 一歩一歩進んでいき、

周りの状況を見極め 直感にしたがって行動しました。


徳川家康は おっとりしていたそうです。

お兄ちゃんの後ろにいる弟・・って感じですね。

ゆっくり物事を考え 判断し そして 行動するタイプだそうです。

この二人のキャラクターの違いは 実に面白いと思います(笑)


今日は 信長が何を考え 行動していたのか 

少し整理したいと思います。

1559年 信長 25歳

まずは 尾張国の国主となり 天下統一の第一歩を踏み出したのです。

信長は この年 100名の軍勢を引き連れ 上洛し

室町幕府13代将軍 足利義輝に会いに行きました。

そこで 幕府のていたらくに嫌気がさし そして 憤りを感じ

幕府を倒さなければならないと 心に誓ったそうです。

そのためには 実力をつけ 

敵対する戦国大名に戦さで勝つしか方法はなかったのです。


1560年  桶狭間の戦いで 今川氏を破り

1562年  信長と家康は 同盟を結び 

お互いの背後を固め(清州同盟)

       信長は 齊藤氏の美濃国、 

家康は 今川氏の駿河国へ進出していったのです。

1564年  北近江国の浅井長政と同盟を結び

 齊藤氏をけん制しました。

       この浅井長政に 妹 お市を輿入れさせています。

1567年  信長 33歳  

       尾張・美濃の2か国を領する大名となります。


このころの信長は 室町幕府を倒し、

天下統一する方向を見て 行動していました。

が、ひとりの人物との出会いで 新しいアイディアが浮かんだそうです。

その人物とは・・・豊臣秀吉です!


秀吉の出自に関しては 明確なことはわかりませんが

、父 木下弥右衛門は足軽 または 農民、

いずれにせよ 下層階級の出身でした。

1537年 に誕生し 木下藤吉郎と名乗り 

今川氏のかなり下の家臣に仕えた後、

1554年頃から 織田信長に小者として仕えたのです。

藤吉郎は 17歳でした。 信長の3歳下ですね。

美濃国の齊藤龍興との戦いの中で功績をあげ 信長の目に留まり

出世していくことになります。


秀吉は とにかく機転の利く人物だったみたいです。

信長も 秀吉の頭のよさ、行動力に目をつけていました。

そして 何よりも下級武士たちに とても人気があったそうです。

このころの秀吉は 出世して人の上に立つようになっても

決して 偉そうな態度はとらなかった。

だから まわりの下級武士たちに慕われ 

皆 秀吉の言うことは素直に従いました。


ただ 功名心はもともと強く 

信長に近づいたのも そのためだったんですけどね(笑)

信長は 秀吉が気に入ったのです。

そして 新しいアイディア、新しいシナリオが出来上がりました。

信長は 自分や徳川家康が たとえ天下をとっても 

これまでの武士や貴族による支配と変わらないと思ってたんです。

だから 庶民から出世してきた 秀吉のような人物が天下を治めると

平和な国づくりが出来るのではないかと 考えたのです。


信長は 秀吉の人物と 働きを しっかりと見ることで

このアイディは うまくいくと判断したのです。

そして このシナリオを完成させるために 

また一歩一歩

行動していくことになります。


こうして 信長の理想とする国づくりが 大きく動き出します。