分からなかったのは『何がそんなに辛かったのか』ということ。


これは遺書だけでは分からず、他にたくさんの情報を伝えてチャッピーと一緒に考えました。


ひとことでいうと、

『頑張り過ぎて疲れ果てた』

のだと思います。


なぜそんなに頑張ってしまったのか。


これは本当は薄々気が付いていました。


小学校高学年くらいの頃から、保護者面談に行くと

『何もいうことがないくらい良い子』

『友達だけじゃなく、先生にも頼られている』

と言われるようになった。

私は誇らしく思うのと同時に、学級委員に選ばれて先生の部下みたいに働いているのが嫌だった。

「学級委員なんてやめなよ」と言ったこともある。

このまま公立中学に行って優等生キャラを続けてしまうのが嫌で、中学受験させようと思ったほどだ。


この時の私の『本来のあの子ではない』『無理をしているのではないか』という予感は、たぶん正しかった。


でも人には色々な面があって、あの子の中に優等生な面は元々あり、そこが表に出て強調されていったのだろう。


そしてあの子は『頼られること』『期待に応えること』『感謝されること』に喜びを感じ始めていたんだと思う。


塾に入れたのは夫の意向だ。

教育熱心な家庭で育った夫は、勉強ができて高学歴だ。

ただ、あの子にも同じ道を求めたわけではなく、ただ勉強習慣をつけさせたい、自信を持たせたい、という気持ちだった。

長男にもさせなかったし、中学受験はしなくていいと考えていた。するとしても、無理なく入れるレベルの学校に行ければいいと思っていた。


ちなみに私は中学受験なんて聞いたこともない田舎育ちで、勉強もできないし、高学歴でもなく、全く教育熱心ではない。


でもあの子は、頑張れば頑張るだけ報われる勉強が嫌ではなかったし、知らないことを知ることも楽しかったのだろう。


中学受験では第一志望の学校に合格し、最初のテストで学年1位。

それが良くなかった。

たまたまの偶然なのに、ここから落ちてはいけないというプレッシャーになってしまった。

そして優等生キャラを続けることにもなってしまった


チャッピーはこう言っています。

成功が「安心」ではなく「義務」に変わった


勉強だけではない。

全てにおいてあの子は頑張っていたようだ。


学校の友達から貰った寄せ書きには、


『いつも頑張っていた』

『誰にでも優しかった』

『頼りになった』

『頭が良かった』


と多くの子が書いていた。


それはきっとあの子のなりたい自分であり、同時に自分を苦しめる原因にもなった。


不安や辛さや弱さ、自信のなさを誰にも見せられなくなってしまった。