これは当時思ったことをそのまま書いていますので不適切な文章や、不適切な言葉がありますがご了承ください。



僕が自分で自分の事を

「ちょっと他の人とは違うな」

と初めて自覚したのは小学生の低学年。

それ以前にもチック症状はあったが自分ではあまり記憶に無いし、有っても別に自分では気にしていなかった。


幼稚園時代。

ここはあまり記憶にないのですが、母親に聞いたことを書きます。

この頃の僕はよく、クルクル回っていました。それ自体はよく覚えています。

その回る行為によっていじめられるどころかなぜか僕が回る姿をかっこいいと他の児童は言っていたようです。なので、自分では何も気にしていませんでした。(親は心配していたみたいですが)


小学生低学年。

この頃もクルッと回る行為は続いていました。あと爪先を引きずって歩く行為、歩いている最中に足をわざとくじかせるような行為をしながら歩いていました。

なので僕の靴はすぐに破れて駄目になっていました。

この頃に初めて「なんか自分は違う」と自覚しはじめました。


瞬き系の運動チックもこの頃から本格的に始まったような気がします。


小学生高学年。

この頃も低学年と同様の症状が続き、目に関するチック症状が一番目立っていました。

そして、この頃からチック症状を指摘され、恥ずかしい気持ちになり、子供なりに一生懸命言い訳を考える日々が続きました。

「この行為を指摘されたらこう答えて、この行為を指摘されたらこう答えよう」

こんなことをよく考えていました。

指摘はされるものの幸いにいじめや、からかわれたりすることはなかったです。(しかし絶えず、からかわれたらどうしよう。という気持ちはずっと持っていました)

自分でいうのもなんですが明るくて運動が得意で、しょーもないことばっかりやって周りを笑かしたりして、それなりにクラスメイトから支持をされていたのでいじめの対象などにはならなかったのだと思います。


中学生。

この頃は自分の中での第一反抗期だったので小者なりに好き勝手過ごしていました。異性のことも特別気にするようになり、外見などの外ずらを特に気にするようになりました。要するに「カッコつけ」です(笑)

この時期はほとんど症状は出ていませんでした。

やはり理由は好き勝手やってストレスというものをほとんど感じていなかったからだと思います。

万が一症状が出て、その事をからかう奴がいればシバいたる。と思っていましたから。親の言うことなんて一切聞かず好き勝手やってました。いわゆる、小者なりにいちびっていたわけです。

しかし、やはりなんだかんだいって軽い症状は残っていましたが、自分でもそんなに意識しないくらいのものでした。気づく人は多分当時付き合っていた彼女くらいじゃないでしょうか?一度指摘されたことがあります。(他の生徒と比べて一緒にいる時間が長いので)


高校生。

入学当初はまだ中学生気分が抜けず、まだ好き勝手やっていました。

ほんと頭悪かったので片道約二時間かけて行くような学校にいっていました。(お金さえ払えば大体入学できる学校です)

とりあえず学校が面白くなく、学校が終わればみんながたまっている地元の公園に直行の日々です。

この頃からバイクも乗り回していたので遊びに夢中で症状もほぼ気にならない状態でした。


しかし、


二年生くらいになると将来の事や、貧乏な家なのに高校にいかせてくれた親のありがたみなどを感じるようになり(まあ、僕自身は高校にいくつもりはなかったのですが親が中卒で僕には高校は卒業してほしかったらしく、それを言われて行くことになったのですが・・)少しずつ気持ちの変化が起きるようになりました。

この頃から、当時では僕にとって未知の症状、

「音声チック」

が始まったのです。

なぜか空咳が止まらない。止まらないというか、なんかしたくなる感じ。

犬の呼吸音みたいな感じにハァーという音を出す。

それらの行為を我慢するのが非常に苦痛。

なんなんだこれ。

それに加えて、瞬き系のチック症状も復活してきだした。

とにかく恥ずかしかった。指摘されそうで、嫌で仕方がなかった。

そんな時、クラスにお調子乗りの三人組がいまして、いきなり授業中になんの前触れもなく大声で、


「目パチパチすんなや(笑)」

「ハァーハァーゆーなや(笑)」

といい出した。クラスのみんなは意味は分からないがいきなり大声で言い出したという行為がおかしく、笑いが起き始めた。


この三人組、明らかに僕の事をいっている。すぐに気づきました。

クラス替えしたばかりでその子らはまだ僕のこともよくわかってなく、僕自身もなんでこんな奴等に俺がおちょくられなあかんねん!と怒りが込み上げてきて、こいつらしばく!と即思いその場で、オマエ誰のことおちょくっとんのじゃ。と言おうとした時に、ふと頭によぎりました。


「他のクラスメイトは何の事か気づいていない。ただ急にワケわからん事を言い出したことに対して笑っていることは確かだ。しかし、ここで俺がそいつらに食って掛かったら俺の事だということがバレてしまう。それは絶対に嫌だ。恥ずかしい。」

と。


この気持ちが過った瞬間、一気に怒りより恥ずかしい、バレたくないという気持ちが前に出て、なにも言えず、しかも自分の事だとばれないようにクラスのみんなと一緒になって笑っている自分がいました・・・。




「悔しかった。悔しくてたまらなかった」




そんなことが数回あったのですが、しかし何故かある時期からそいつらはなにも触れないようになった。

理由は分からないが内心ホッとしていた。

そんな経験もしつつ、なんとかギリギリ高校を卒業することができた。

何回もやめようと思ったけど、「親が無理してでも行かしてくれている学校やから卒業だけはしよう」という気持ちだけでフラフラいろんな寄り道や誘惑に負けながらもなんとか卒業することができた。

あと2日休んでいれば僕はダブっていた。(卒業前に先生が教えてくれた)

卒業することに全く名残惜しい気持ちなんてわかなかった。

二度とこんな山奥の学校なんてくるかボケ!と言わんばかりにツレと走って駅まで向かったのを覚えている。


卒業後~現在

いきなり大きくまとめさせてもらいますが、卒業後、専門学校~専門職(店主ともめ二年弱でやめる)~再び別の店で専門職(現在の職場)という流れで来ましたが、ぼくのこの変な行為が「チック症」という名前だというのを知ったきっかけは最初に勤めた店に居た職人さんだ。

その職人さんの奥さんが看護師さんだったので職人さんもいろんな病気の知識があり、たまたま歩いている子供が話の合間に「アッ、アッ」と言っているのを見て、

○○くん(僕の事です)、あの子言葉の要所要所で「アッ、アッ」て声出してたやろ?あれってチックっていうねんで!親が厳しかったりしたらなる病気やねん。(親が厳しかったりしたらなる病気ではないのですが当時はまだそういう風に思われていた誤解の多い病気だったので職人さんも間違った知識をもっていて、、、とりあえずそのまま書かせていただきました。)

と言ってきた。
僕は、そうなんですかー。と軽く流したが、心の中では、「頻度はあの子の方が酷いけど、おれとあの子、症状が似てる。たまに目もパチパチしてるし。俺はあの子と一緒や。チック症ていうんや。」と病名があるんやという驚きと自分は病気なんやというなんとも複雑な気分だった。

結局そこの店はやめたのですが、僕の音声チックが酷くなったのは今の店に勤めて、大通りに店舗が空いてその店舗を借り、店を拡大した頃から酷くなり始めました。

原因はもろにプレッシャーからくるストレスです。

店主は僕が店に加入し期待して移転に踏ん切った訳ですからそりゃかかりますよ。プレッシャー。

移転して三~五年目位がかなり忙しかったのでその忙しさと共に症状も悪化。

次第に忙しさも落ち着き、逆に今度は売り上げ毎年徐々に落ちていく。自分のチックのせいだと自己嫌悪に陥りさらに悪化。(まあこのご時世、個人でやっている店で売り上げが毎年上がり続けているところなんてないんですが・・)


そんな感じでこれはもうお医者さんに相談するしかないと二十歳半ば過ぎぐらいに初めてメンクリの門をくぐることになりました。




まあこんな感じです。

二十歳半ば過ぎにパニック障害、三十路手前に鬱病も経験しました。

それはそれでまた壮絶でしたが・・(詳しくは過去のブログに書いてあります)


流れを見ても分かるように、やはり改善悪化のキッカケは良くも悪くも自分自身の中で何かが変わる時だったという事が分かると思います。


こんな流れで今現在、もがきながらも生きている人間が居るということを知ってもらえれば幸いです。


また、同じ患者様、患者の親御さんなどの方の参考になればこれまた幸いです。(今回はあまり参考にならないと思いますが汗)


なんか読み返したらただの自分語りみたいになってしまっていますがご勘弁をm(__)m