初めまして☆(=⌒▽⌒=)
TSと申します!
昨年の4月から12月28日までカナダのキャッスルガーという人口も8000人くらいの小さな町に留学をしていました!
異国の地での久しぶりの学生生活でとても新鮮、そして異文化の中で刺激を受け自分自身、色々勉強になりました。
なぜバンクーバーとか選ばなかったって?
それは日本人が少ないから追い込むには最適だったからですよ!(笑)
人生80年と言われますがその一生の1年くらい日本人の少ない場所で生活して見るのも良いでしょう!
そして、自分自身アート系の専門学校を卒業してからの5年間は仕事に全てを捧げてた生活だったなぁと思います。
まぁ仕事が好きなんでしょうね(笑)
軽くプロフィールから言いますと小学生の時は悪ガキでした(笑)
毎日学校から家に電話がかかってきて母から怒られる毎日でしたね…。
給食の時間に体育館で一人抜け出してバスケットしたり、物を投げ飛ばして破壊したり、
酷いときは僕についての学級会が開かれた時もありました(笑)
どうすればTS君は良くなるのか?みたいな(笑)
今覚えば親や先生にかなり迷惑を掛けてますよね!(親孝行せねば!)
勉強の出来も普通でした。
体育も特別出来た訳でもなかったですね。
バスケットは背があったので何とか出来たかなー。位のレベルです(笑)
唯一得意な物は、音楽でした☆
中学もそんな感じで悪い事もやりましたし、髪を染めたり、タバコ吸ったり物を破壊したり…。
一度担任の先生に「次に破壊したらゲンコツだ!」と言われましたが、その次もやってしまいついにゲンコツを食らう羽目になりそうでしたが!!!
とっさに「てめぇにゲンコツ喰らうくらいなら1ヶ月一人でトイレ掃除したほうがマシだ!」と言ってゲンコツを免れました。
(この先生のゲンコツは中学生にはきついんです。強烈過ぎて。)
しかし、1ヶ月は掃除です(笑)
そして半月が経過した頃から優等生君たちが見かねて一緒に掃除してくれました(笑) ありがたや、ありがたや( ̄▽+ ̄*)
それから、高校ですね!
これはもう凄い生活でした(笑)
この頃はもうバンド活動がメインで勉強しに行くよりも音楽、そして音楽!
僕は作曲やドラムの練習そんなんのばっかりでした。
学校では吹奏楽部などの無いのでバンド好きの人の署名を集めて先生に部を作りたいといってみたり(笑)
結局は顧問の先生が見つからず駄目でしたが。
納得行くまでやらないと気が済まないんですね。トホホ。
また、友人関係は上手くいかず1年の時には学校に行かなくなった事もありましたし、色々な事がありました(笑)
だから登校拒否の人の気持ちもまったく分からない訳では無いんです。
自分もそうでしたからね。
不良みたいな生活をしてバンドをしてそんな中、学校復帰をして支えられたのは、
友達の言葉でした。
こんな僕に「良く戻って来たね!待ってたよ!」
とても嬉しかったんです。
そして、先生も僕が学校を辞めるのを心配して家まで来てくれて、そして一緒にご飯を食べに連れてってくれて。
そこで僕は人は一人ではなく力を合わせて生きていく物なんだって本当に気付きました。
そこから学校生活で何か出来る事は無いかなって考えるようになってまず、みんながやりたがらない、学級委員長を2年やりました。
あとは生徒会議長や修学旅行の団長もやりました。
まぁ金髪の委員長ってのもどうかと思いますが…。
もちろん当時は黒スプレーで誤魔化したりしてました。
帰されてしまうので(笑)そしたら帰され組でカラオケコースですけど。
そして、僕はその活動の中で沢山の事を学びました。
まずは、やはり団結力により人一人の力よりも何倍もの力を発揮できるという事。
人間得意不得意があるんです。
僕は適材適所に人を配置しコントロールする事が得意です。
また答えの無い物をあきらめず事前準備と行動力でカバーする事なども得意です。
しかし、絵を描いたりり、細かい作業をしたりとかは苦手です。
だからこそ人の力を合わせるのです!
一つ例にあげると、
僕が高校3年生の時にYOSAKOIソーランの出し物をやる事になりました!
これは全校生徒で優勝を競うのですが、僕たちは何も分かりませんでした。
(クラスによって何をやるかは自由。お笑いでもなんでもOK!)
リーダーとして僕はまず、色々な事を考えなければなりませんでした。
そこでもし、自分が踊りの振り付けを考え、作曲し、スケジュール管理をし、教えて、など一人でやったら絶対出来ません。
僕はメンバーの力を信じる事にしました。
まずは、全部手作りでやろうというのがテーマでしたので、外部から振り付けや踊りの指導をして頂ける方を探しました。
クラスメートの中に知り合いがいるとの事でしたのでさっそく学校に来て頂きました。
そして作曲はクラスのS君という作曲の天才君がいましたので彼に依頼。
そこで曲のテンポを踊るために下げたりしながら試行錯誤して振り付けを作って行きました。
その間、僕は迫力を出す為に太鼓をどうしても入れたかったので太鼓を探してましたが、経費上買う事が出来ません。
そこで考えたのが自分の出身小学校にある太鼓を借りる事が出来ないかと交渉して見るとの事でした。
さっそく電話をし、校長先生に依頼しました…。
結果は…
「借用書に記入し絶対破損させない事を条件に貸し出しましょう!」
僕は嬉しさのあまり飛び跳ねました!
そこから、僕は太鼓やドラムの経験がありましたので太鼓フレーズを考え、生徒し指導して行きました。
ここで重要となったのは色々なグループをきちんとしたスケジュールで管理する事でした。
踊りのグループ、太鼓グループ、音響グループ、その他YOSAKOI以外の出し物のグループ。
どこかだけ出来ていないという事では意味がありません。
その他に自分自身はバンドでの出演や、閉幕式に作曲依頼もありてんてこ舞いでした。
それで、各部門にリーダーを設置し管理出来るようにしました。
それから色々順調に進む部分をありましたし、喧嘩を沢山しました!
一生懸命だからこそぶつかる事があります!
そしていよいよ本番!
結果はどうなる!!!!!!!
次回へ続く…