今日はこの話題に触れないわけにはいかないですね。
本日、CHAGE & ASKA からASKAの脱退が発表されました。
自分は「Fellows(ASKAファンクラブ会員)」なので昨夜には知っていました。
これまでのASKAの発言から、こうなることは推測できてましたが・・・
まぁ、それでも複雑ではあります。
今日、この発表が一般に公開されて、ネットニュースのコメ欄は酷いありさまですね。
「ASKA勝手すぎ」
「自分のせいでこうなったのに上から目線じゃない?」
「話合いくらいすればよいのに」
等々・・・。
まぁ、Fellowsではない人からの印象は、こうなってしまうのは仕方ないと思います。
これはASKAがFellows以外には、これまでの経緯を何も話していないのでこうなるのでしょう。
Fellowsからするとちょっと悔しいですね。
ASKAは何年も前から解散の要求を出し続けています。
2007年のコンサート「Alive in Live」では
「これがCAHGE & ASKAの最後なんだな」
と思いながら唄っていたと書いています。
解散の要求は毎年の株主総会で要求している。
具体的に言うと、2008年頃からとブログに書いています。
2009年、無期限活動休止を発表したのは、CHAGEと会社が解散を認めなかったから。
このことから、今回脱退に至ったのは、ASKAの例の事件が関係ないことは明白です。
もう何年も前から解散を要求しているのです。
ブログにはASKAは何度もCHAGEにコンタクトを取ろうとしている様子がうかがえます。
ASKAはCHAGEにメールアドレスも電話番号も伝えているが、CHAGEの連絡先は知らないそうです。
世間から言われるような手段はやりつくし、それ以上のこともやっていると書いています。
それでも、CHAGEサイドは全く話し合いに応じない。
CHAGEも組織に属している以上、いろいろ事情があると思いますので
CHAGEの言い分も聞かないと分かりませんが、世間の認識とはズレがあるのは確かです。
ASKAの最近の曲に
「憲兵も王様も居ない城」という曲があります。
トランプで組み立てた、お飾りのような城を出る
憲兵も王様も居ない城
遺書なら昔に書いてある 何枚書いても隠される
結局答えを「我慢」と言うんだろう
これは、おそらく、このような状況を唄った歌だと思います。
お飾りのような城=会社(組織)から出る。
遺書(=解散) は昔に書いてあるが、何枚書いても隠される(=会社は認めない。)
結局、答えを「我慢」と言うんだろう
いつかのブログだったか、CHAGEに「お飾りのような城を早く出ろよ」と
発信していたような記事があった気がします。
これは勝手な推測にすぎないかもしれませんが、
ASKAはCHAGE & ASKAを再始動する気はあるんだと思います。
でなければ、上記のような発信はしないと思いますし、
CAHGEが 「CAHGE & ASKA は僕の人生」 と語っているのに対し、
ASKAは「僕の人生には、決して消えることのないCHAGE & ASKAがある」と
これを 「過去形ではない言葉で答えさせてください」 と言っています。
テレビのインタビューでも「CAHGE & ASKAに対する愛情はお互いが持っている」と語っています。
CHAGE & ASKA は 「いずれはやりますよ」と言っています。
これは、一方で解散要求を出し続けている中で語っているものです。
解散も、脱退も受け入れられない状況では
「いっそ解体して、新しく積み上げることのほうが建設的」とも言っています。
ASKAが脱退を発表した12:07分のブログ記事の最後には、
Chageへ
1207
と書かれています。
これは「いずれな」でしょう。
いずれな = お飾りのような城を出て、二人で話せるときが来たらな
ということだと思います。
まとまらない文になってしまいましたが、一方的にASKAが叩かれている状況は、ちょっと違うのかなと思っています。
とりあえず、コレ買いました。