日本の闇はどのように形成されてきたのかについて調べた結果を記載します。日本の明治維新とは何だったのか、どういう人間達が起こした革命だったのか、という事を振り返る事が重要です。これが150年以上経った現代の日本の政治に大きく影響しているのです。
明治維新とは、徳川将軍家が没落し、明治天皇のもと天皇親政に戻り、政治的、経済的、社会的大変革が起きたことを言います。つまり大きなクーデターが日本で起きたわけです。このきっかけを作ったのが、いわゆる薩摩と長州の同盟なのですが、実はこの薩長同盟は早い話、薩摩藩「鹿児島県」と長州藩「山口県」には、同じ「田布施町」という名前の朝鮮人部落があり、その町には同じ朝鮮系の人たち(つまり在日朝鮮人)が多く住んでいて、彼ら朝鮮人がグルになって日本人が作った江戸幕府と天皇制の転覆を謀ったのです。
この人たちはいわゆるエタと呼ばれる身分の人たちで、豊臣秀吉が朝鮮出兵の時に捕虜として日本に連れてこられた人間達です。江戸時代のきびしい身分階級においては、一番下の階級に位置する人達でした。つまり、この「田布施町」はいわゆる同和と呼ばれる被差別人の部落だったのです。この町に、人を人として扱ってもらえないような低い階級の朝鮮系の人達がたくさん住んでいたのです。
しかも、同じ名前を冠した被差別部落が何故か鹿児島と山口県にあり、この二つの「田布施町」が結束して明治維新というクーデターを起こした、というわけなのです。そしてさらに、なぜかこの二つの「田布施町」から、その後、次々と日本の政治的有力者が現れることになります。例えば……。山口県の田布施町出身者には、伊藤博文、 幸木戸一、 宮本顕治、 河上肇、難波八助、松岡洋右、安倍源基(終戦時の内務大臣)、賀屋興宣、岸信介、佐藤栄作、安倍晋太郎、安倍晋三も、この田布施一味の末裔。
鹿児島の田布施町も朝鮮人部落であり、明治維新後に、薩摩士族の株を買って、士族になるものもあらわれました。その有名な例が、東条内閣で外務大臣を務めた東郷茂徳である。 総理大臣になった小泉純一郎の父・小泉純也もこの町の出身の朝鮮人で、元は朴(鮫島:自称)純也という名前だった。 日本人の名前を持っていなかったので、東京に上京して稲川会というヤクザの小泉又二郎の娘(芳江)と結婚して、小泉姓を名乗るようになった。現在でも小泉家と稲川会のつながりはかなり強いとされています。現実に、小泉純一郎が日本の首相になったときにはやたらと焦臭い暗殺事件が次々と起こりました。小泉純一郎が首相になった時は、彼の出自を知っている人は、ヤクザ関係者が首相になるようでは日本ももう終わりだという人が多かったそうです。
安部晋太郎 小泉純一郎 安部晋三
明治維新後に薩摩藩で最も出世した大久保利通は鹿児島市高麗町の出身です。高麗という名が示すように大久保は朝鮮系の人である可能性が高く、少なくとも彼が生まれた土地は朝鮮人集落でした。さらに言えば、明治維新を引っ張った薩摩の志士たちもほとんどが同じ町内に住んでいました。それも高麗町の隣の町です。このように明治維新と在日朝鮮人は極めて強い関係なのです。
山口県熊毛郡田布施町と鹿児島県の田布施町。この小さな町の出身者、いわゆる田布施一族によって、明治維新の頃から日本の政治、経済の中心が牛耳られているという一連の流れが田布施システムと呼ばれます。簡単に言うと、田布施町出身者によって日本の政治が支配され、明治天皇の地位が乗っ取られ、以降日本の皇族や政治・経済の中心を田布施一族で牛耳ってしまっているという陰謀論、天皇家に関する一大タブーが、田布施システムなのです。
ジェームス斉藤氏のように世界から日本を見る立場で言えば、明治維新は在日朝鮮人によるクーデターだとハッキリ言います。口さがないエージェントなんかはもっとハッキリ「明治維新は在日朝鮮人達の日本乗っ取りなのに、何故か日本人は明治維新が好きだよね」と言います。
実は私たちにとってここが大切なのです。ちょっと調べれば、明治維新の実態や正体は簡単に見えてくるのですが、明治以降の約150年間、誰もこれを問題視する人たちがいませんでした。明治維新に対して疑義を唱える人たちが出てきたのはここ数年のことです。