奇跡を信じ続けた日々⑧ | あなたが幸せで在りますように

あなたが幸せで在りますように

人と違う個性を輝かせて、自分も人も許し愛し、せっかく生まれて来たこの人生を幸せに生きていけるように応援しています。

平成17年3月21日(月) 晴れ 入院67日目


朝が来る。


新しい一日を迎えられる。


これがどんなに素晴らしいことか、智と一緒にいると本気でそう思う。


昨夜は父親と交代して家で休息。


一人で家いて、智と元気にまたこの家に来られたらいいなと思った。


生まれた時から1年半入院していた智大。やっと退院して帰ってきたけど、

家で連続で暮らせたのは3か月だけでした。

かけがえのない時間でした。




でも、一度はあきらめた命。


またいつ何が起こっても不思議じゃないし覚悟はできている。


不思議となんだか穏やかな気持ちだ。


智大の前ではもう決して泣かないよ。


笑って元気な母を覚えていて欲しいものね。


今日の検査データーは肝臓(GOP GTP)もクレアチニンも少しよくなってきているみたい


電解質のバランスも良い。


レントゲンは悪いけれど、不思議と呼吸はいいらしい。


確かにSPO2はよい(㊟血中の二酸化炭素数値のことです)


智の体はまた頑張り始めたようだ。


どこまで頑張るのか、神様と智が決めること



母は精一杯見守り、看病しよう。。。。


**********************


平成25年12月 回顧


亡くなる1週間前の様子のようです。

私はこの当時のことを実はよく覚えていません。


今はまだ思い出した方なんですが、智大がなくなった後


智のことに関して私は記憶喪失の状態になってしまいました。、


智と暮らした事実、智大の存在は意識できるものの


智との具体的な記憶がなくなってしまいました。

思い出そうとしても霧がかかったようにもや~として顔も表情も手の感触も


過ごした日々も思い出せなくなってしまったのです。


これは心の防御反応の一種だと心理学を学んで気づかされ


心が救われました。


子供のことを忘れてしまう酷い母親ではなく


思い出すとつらすぎるから私の心は私の精神を守るために


無意識の世界に記憶を沈めたのです。


人って不思議ですよね。


だから、この亡くなる1週間前のことは全く覚えていないし、今も思い出せません。


情景は思い出せないけれど、


この当時、もう自分ではどうにもならないことは天に任せるしかない


と悟りにも近い心境に達していたと思います。


智に教えてもらったことに


努力ではどうにもならないことがある


人の力が及ばないものはある


ということがあります。


努力すれば何でもできる、叶う!と信じていた私にしては


どうにもならないことを受け入れていくことは


ただ傍観しているだけであきらめることではないのか


自分が自堕落なだけなんじゃないのか


という感覚もありましたが、


自分のことならともかく、自分以外の者に対しては


自分の努力次第でどうにかなるなんて思うことは


おこがましくもあり、思い上がりのなにものでもない!


と思い知らされたのが智大との暮らしでした。

だから、何でも努力でも叶う!


まだまだ自分の努力が足りないからと思っている人がいたとしたら、


もう本当はいいのかもしれないと思ってもいいのではないでしょうか?


努力の成果が少しでも目に見えて


感じられるなら努力のかいもあると思うのですが、


それがないのならば


今はその努力はしなくてもいい時期ということかもしれません。


または、神様がそこ、努力することではないでしょ。


違うとこでしょ。


と教えてくれるために


わざと道を閉ざしているのかもしれませんよね。

ジャングル


努力ではどうにもならないこともある


これを受け入れた時に道が開ける気がします。

キャボットトレイルHDR曇り