こんにちは、こんばんは、おはようございます。
前回更新したのは……去年の7月みたいですね。そしてその時も今と同じく「ターミネーター2最高じゃねぇか……」って言ってました笑
更新しない一年の間に、というかここ半年でいろんなことがありましたね。こまめに更新したいな、と思いつつ理想だけが高い人間なのでまた次の更新はだいぶ先になるんだろうなぁ……
さてなぜ今回一年ぶりにこのブログを更新したかと言うと、色々思うことがあったからです。手帳に書いてもいいんですが、(読まれるかどうかは別として)Twitterやブログなどに書くと考えがまとまるなぁ、と思ったからです。なので普段はTwitterに張り付いているわけですが。
先日「そうそうこれが言いたかったのよ!」と言うツイートを見つけました。
https://twitter.com/gjmorley/status/1300842500765040640?s=20
みんなが同じものを求める「マスの幸福像」がもはや成り立たず、逆にそれぞれの人がテンプレートを外れて自分らしく生きることが求められる時代になっています。女性や外国人、LGBTの人々だけではありません。(ツイートから引用)
これまさに、去年自分が書いた小説のテーマだったんです。最近よく「多様性」とか「自分らしく」って言いますよね。ただこれって「最近多様性が芽生えるようになった」と言うよりもともと人間って自分たちが思ってるほど綺麗に二分できるものではないと思うんです。アレルギーとかはもともとあったけど、「アレルギー」と言う名前ができたからこそ症状を認識する、みたいな。
最近は徐々に体と心の性別が一致しない人もいるということが、そうでない人の耳にも入るようになったように思えます。これに対して「LGBTが認められる」という言い方をする人もいますが、個人的には認めるもクソもないやろが、と思います。異性愛者に対してその他の人が「認める」ってあんまり言いませんよね(結婚に対して両親に挨拶に行くのは別として)。その人が好きだと思う人が異性であろうが同性であろうが、その人の自由だと思います。
YouTubeなどの動画サイトやSNSなどが発達し、誰もがテレビを見る時代は終わりつつあるように思います。昔は娯楽の選択肢も多くなく、テレビのチャンネルもたくさんあったわけではないでしょう。同じ年齢の子供は皆同じ番組を見て、学校で感想を言い合ったり、ものまねをしたり……
でも今は違います。動画コンテンツ一つとっても20年の付き合いがある友達でも観ている番組は違うし、そもそも同じ手段で観ているとも限りません。アマゾンプライム、ネットフリックス、Hulu……娯楽の手段は無数にあります。
SNSでもフォローしている人によって広がる世界は全く違います。
皆が同じものを見て、同じ幸せの形を目指す時代は終わったと思います。恋愛をしなければいけないとか、結婚しなければいけないとか。もっと言えば女は女らしく、男は男らしくとか。
ただ、こういう話をしていて怖いのは「女性らしく」するのが「自分らしい」人を迫害して欲しくはないなと思います。するのも自由、しないも自由です。
かく言う私は女性が好きとかそう言うわけではなく……ただ、「女は恋愛してなんぼだ!」とか「結婚が幸せの形」みたいな旧来の価値観を押し付けられるのは好きではないです。「あなたがそうなのはわかった、ただ私にそれを押し付けないでくれ」ってスタンスですかね……ただこれが中二病の延長線上なのかどうなのか笑
大学生になってまぁ周りのそう言う生々しい話なんか聞かされると、うーん聞くのはいいんだけど自分に理解を求められても困るというかなんというか。そもそも人とずっといるのがあまり好きではないので、それ以前の問題。
これからの時代は「個人の在り方」がより重要になってくるのかな、と思います。それが以前幸せだと思われていた「男女で結婚して子供を持つこと」でもいいし「同性同士での恋愛」でも「一人で生きること」でもいいと思います。
最近はジェンダーもさらに細かく分けられ、名前がつくようになりましたよね。また精神の傾向にも名前がつき、自分ってこういうとこあるわ〜と理解しやすくなったのかもしれません。実際自分はHSPかな?と思うところ多々ありますが、完全に当てはまるわけではなくグロい映画とかゲームとかは嫌いじゃないし、団体に属して指示したりするのは案外好きです。
ただ、先ほども言ったように人間白黒簡単に二分できるわけではないので、いわゆる「グレーゾーン」の人の方が実は多いのではないかと個人的には思います。ただ私のように不特定多数の人の中で生活するのがあまり好きではなかったり、誰かが怒鳴ったりすると自分が責められているように感じても一方では「いや、報・連・相は誰でもできる」「どうして団体行動できないの?」と思ったりするわけです。そういう「これはできるやろ」が集まって「常識」や「普通」ができちゃってるのではないかな〜と。なのでその「普通」に完璧に当てはまる人って案外少なくて、みんな何処かで生きづらさや違和感を感じながら見えもしない「普通」に縛られているような気がします。まぁ、私の体感なのでソースはないです、ごめんなさい。いつかアンケートとかとってみたい。
先ほど引用したツイートにもあるようにこの問題はLGBTの方や女性、外国の方の問題だけではありません。「男らしく」を求められて居心地悪く感じている男性も実はたくさんいるのかも。
古い価値観の人が「男は仕事!女は家事!」と思うのも自由です。「男は男らしく」という心情に従って生きるのも自由です。ただそれを他人に押し付けるのはもう時代遅れだよねって話です。
去年書いた小説は世間の「普通」に苦しむ二人の女性について書いたんですが、その時の自分のテーマが「それぞれの幸せ」でした。
自分が変わった人間だとは思いませんが、かと言ってすんなり「普通」を受け入れられるかと言うとまた違って。
多分生きていく中で理解できないことってたくさんあると思うんです。自分も「このCMの良さわからんわ〜」とか「このコンテンツの何が面白いんだろう」って思うものたくさんあります。でも多分そう思う時点で自分はそのコンテンツのターゲットじゃないんですよね。だから何も言わずにそっと閉じるしSNSならミュートします。
恋愛や価値観も同じで理解出来なくてもものすごく人を傷つけているとかそういうことでない限り、いい意味で「放置」でいいと思うんですよね。
ニッチな趣味を排除するような動きもありますが、これも難しいですよね……うん。
今もゼミで小説を書いているのですが、ま〜行き詰まっているので頭の整理がてらつらつらと書きました。
でも自分的には「幸せの形の追求」は今後も考えていきたいテーマだし、自分なりに創作を通して考えを表現していきたいなと思いました。次に書く小説も、そうするつもりです。
私は自分の意見が正しいかわかりませんし、そもそも正解なんてないと思っています。自分の考えが来年も同じかどうかはわからないし。けど、あくまで個人的な意見です。それだけはご理解ください。
と、言うことでお付き合い頂きありがとうございました。明日も更新できたらいいな……色々考えても残さないと忘れちゃうからね。