前回のブログから1か月あいてしまっていました。
月日が経つのは早いですね!
そして、案外伝えたいことは少ないものなのだと思いました。
最近、デカルトの「方法序説」を読みました。
俗に言う「我思う、ゆえに我あり」が書かれている本です。
二重否定等の文法的に読み進めにくいところもあり、理解できたとは言い難いですが、
ある種の「ありのままに受容する」という感覚がここでも出てきているのだと感じました。
また、よく言われるように「我思う、ゆえに我あり」とは、「我考える。その考えている自分は疑いようなくここに存在している」といった意味合いですね。
一方、本の中に「本を読んだだけで分かった気になる(人)ことの多いこと」とも記載があり、
まさしくデカルトの考え方は果たしてどのようなものだったか確実なことは言えないものの、
近代へ続く道を繋げた人物であることは間違いない。
さてさて、ここ最近なんとも目の前のことに必死な人が多いように感じる。
今でも「個性の時代」なのだろうか。はたまた個性から発展した「多様性の時代」なのだろうか。
それにしては、「自分は!」「自分が!」との意識強く
自分に不利な内容は「あいつが悪い」「こいつが悪い」との声が多い気がする。
かくいう自分もそうであったし、今でもこの嫌いは抜けていないだろう。
でも、文句を言っていて果たしてその時間は楽しいだろうか。幸せな時間なのだろうか。
誰しも「自分に都合よく」なんてことで行動していれば、私自身に都合よく動いてくれる人などいるはずがない。
他人のために動き、他人に尽くし、そうすることで自分のために動いてもらい、自分に尽くしてもらい、、、
私自身に都合よく動いてくれるためにはまず他人に優しくあらねばいけない。
でもね、他人に優しくされたら「その人のために頑張ろう」という気持ちが生まれるかはまた別問題。
「私は優しくされて当たり前」なんて考えの人もいる。
私の好きな言葉の一つ
【情けは人のためならず】
自分のために他人を助けよう。
その結果すべての人が助け返してくれるとは限らない。
でもそこで文句を言うより、助け返してくれた人と楽しく語らい、美味しい酒を飲み、幸せな時間を過ごそう。
そういう未来を思い描いて、今日の人助けを行おう。
そういう人生を送れるよう、今日できる努力を今日も行う。