今朝は早起きしたのですが、ついYoutubeで動画を観て時間が過ぎて行きました。汗

 

で、動画を観る中で自分がバンドをやっていた時代にたまに見聞きしてた「偉人・異人」である灰野敬二という人物の対談動画がありまして、観てました。

 

灰野敬二というミュージシャンは、それはそれは異質で、自分は恐れや畏れから受け入れることはもちろん、受け取ることすらせずにいました。

 

いわゆる「音楽」という楽しくてポップ存在ではなく、生々しく生まれる音を彼自身が楽しんでいるという感覚の音楽は「ノイズ・サイケデリック」と表現され、世間一般からはなかなか受け入れられていません。(バンド時代自分もノイズ・サイケデリックの要素を入れた曲を演奏してたので、そういった類のバンドとよく対バンしてました。)

 

ですが、肉声で語る彼の言葉から、その生きざまに少し共感したのでここに記しますが、

 

普通の人はギターを演奏しようとするときに、まずコードを覚えてその技術を習得しようとします。

 

そしてその習得した「技術」を生かして何かをしようとしてしまいがちです。

 

ですが、灰野敬二氏は自分が突き動かされる「何か」を表現するために技術を習得しようとしています。

 

順番が全く違うんです。

 

だから、コードなど技術に囚われた狭い表現方法から出たところで、何かを演じているのだそうです。

 

だから「自由」という言葉を使わないのだといいます。

自由という言葉を使う人は「不自由」な存在だから。

 

そもそも「自由」という概念がない存在が本物の自由な存在なのかもしれません。

 

自分は灰野敬二氏によって奏でられた音には鳥肌しか立ちませんが、在り方とか音楽へ向かう姿勢には共感しました。

 

その瞬間の在り方を表現する方法として「音楽」があるのなら、音楽以外の何かで自分を表現する方法として、「仕事」があるのかもしれないと感じました。

 

なかなか伝わらないかもしれませんが、1人だけでも伝わったら嬉しいです。笑

夏だと、30度越えの日々が当たり前で、30度を切ると「涼しい」って感じます。

 

たとえば夏場の25度だと寒いぐらいです。

  

でも、秋だと20度を切るのが当たり前になってきて、20度を超えると「温かい」って感じます。

 

たとえば25度だと暑いぐらいです。

 

自分の基準となる「当たり前」によって、同じ25度でも感じ方に雲泥の差が出ます。

 

 

今日はこちら千葉県は

25度近くまで上がってます。

 

 

20度を下回るのが当たり前になってきた途端、

25度が暑く感じる。

 

 

身体の順応性というか、

適応力はスゴイですねぇ。

 

 

ですが、その反面で

当たり前というコンフォートゾーンが勝手に出来上がり

そこからズレた時に「違和感」や「不快感」を感じて

そこから出ないような行動を取りがちなのが僕たち人間です。

 

 

この当たり前を意図的に作り

自分をより高めていくための「当たり前」を

創れるようになりたいですねぇ。

 

 

そんなことを感じながら、

何か、この「当たり前」というのが一つ今の自分のヒントになりそうだなと

感じています。

 

 

お互い、

より良い「当たり前」を創造していきましょう。

 

ここ10日弱ずっと崩れてた体調が

今朝ようやく元に戻りました。

 

 

ずっと「自分が自分じゃないみたい」な感覚だったのが、

「自分が自分で在る」って感覚に戻りました。

 

 

体調が崩れると仕事に支障が出るので、

いつもはすぐに病院に行って薬で治してました。

 

 

でも、

今回は薬に頼らず経絡調整だけで戻しました。

 

 

だいぶ時間かかったけど、それが自然治癒。

自然にゆだねるとコレだけ時間がかかるもの。

 

 

この時間を無理に短くするのが、

果たして良いことなのか考えちゃいました。

 

 

無理とは、

理(ことわり)が無いと書きます。

 

 

宇宙の理に反することが「無理」

 

 

無理することは、宇宙の理に反しますから、

どこかにひずみが来ますね。

 

 

それが見えなければ、いつか見える形に現れるだけ。

 

 

で、

不調から回復するまでのタイムラグって

やっぱりそこにも意味があるんだと思うんですよね。

 

 

人間の身体に不調が訪れた時に、

そこにあるメッセージを読み解くために必要な時間が与えられてて、

その間にメッセージを読み解いていくわけです。

 

 

そうすることで、

そのメッセージを元により良い人生を創造しながら

人間はらせん状に成長していくんです。

 

 

だから、

好不調は善悪ではなくて、両方が重要。

 

 

人生には大きな波があってそのダイナミズムを利用して

魂を成長させていく。

 

 

それなのに、

「不調=悪」と決めつけて、

薬で無理やり治してメッセージに耳を傾けずにいると、

何度もそのメッセージが違う形でやってきます。

 

 

その間、成長は遅くなってしまいます。

 

 

だから、今回薬に頼らずに耐え忍んで良かったなと思いました

そのおかげで、自分はかけがえのない時間を過ごせ、多くのメッセージに氣付くことが出来ました。

 

 

不調は悪ではなくて、陰陽で言う「陰」。

闇があるから光を感じられる。

裏があるから表がある。

 

どっちも必要な物。

良い悪いではないってことです。

 

 

陰陽を「統合」して1つとして認識を取るための、

試練だったのかもしれません。

 

 

今回のことで、感覚として陰陽そろって1つなんだって

腑に落ちた感じがあります。

 

 

良い経験をさせてもらいました。

 

 

不調の日々に感謝。