あなたは、1日を全力で楽しんでいますか?

自分には3歳の息子がいます。
彼は瞬間瞬間を全力で生きています。

目の前にあることに真剣です。
そして集中しています。

その積み重ねが1分になり、1時間になり、1日になります。そして、その1日の積み重ねが一生になります。
  
子供は常に全力なので、余力を残してません。

エネルギーが切れたら、スイッチOFFになったかのごとく眠ります。
  
そんな息子の生き方がすごく好きです。

僕は、思考型人間なので、よく余力を残してしまいます。
 
しかし、時間は有限なんです。
今日の余力を明日に持ち越すことは出来ないんだって氣付きました。

あなたは大切な時間をどう使って、どう生きますか?

今日は、地元の青年会議所(JC)の例会でした。

そこで、軽い発表の場を頂けたので、全身全靈を込めて弥勒波之型を披露してきました。

 

しかし、いつもの自分のニュートラルからズレで、かなり崩れた状態での型の披露となりました。

 

本来であれば、ありのままの自然体での型の披露が良かったのですが。

で、よくよく考えてみると、細かなところでニュートラルから外れてしまっているのだなということを痛感しました。

 

 

いかにニュートラルで型をやってると思っても、他のメンバーがそう感じなかったら即アウト!汗

 

で、なぜ常に自然体でいることが難しいのか、ちょっと考えてみました。

それはやっぱり「依存心」なのではないかと。

 

究極、いつ殺されても分からないのような、究極のサバイバルにいたら、こんな発想にはならず、いかに雑草のある平和な未来を想像するだろうか。

 

こういった、良くも悪くも自分を客観視できる瞬間を得るならこれ以上のもんd

今朝、自分のブログにコメントが入ってて、若干イヤな予感がしたのですが、開けてみると・・・

そこには、ヒドイ誹謗中傷の言葉が書かれてました。

久しぶりにキターー!と思うと同時に、その言葉が心に「グサっ」と突き刺さり、そこから漏れ出ていくエネルギーを認識できました。

ここで、2つの氣付きがありました。

1つ目は、無防備だったこと。

無防備というのは、「受け取る」「受け入れる」を同時にしてしまう状態。

武術の稽古で、接触回避という練習法があるのですが、これをすると「受け取る」けど「受け入れない」が体感でき、そういった身体の使い方が染み付きます。

この時の身体の状態でいられたら、酷い言葉も「受け入れない」ということが出来て、精神的なダメージも減らせたはずです。

2つ目は、言われた」という依存言葉。

無意識でしたが、依存的に受け取っていた自分に氣付くことができました。

武学には主体言語しかあり得ません。
となれば「言わせている」のであって「言われてる」はあり得ません。

まあ、「言われている」という認識の自分をあえて創っている、とも捉えられますが。

ということで、

「言わせている」と捉えたところ、認識が180度変わりました。

その結果、「なぜ?」「どういったメッセージがあるのか?」など、自分の人生をより良くするためのメッセージとして捉えることが出来ました。

この人は自分に喝を入れてくれてるんだと思うと、ありがたいなぁとすら感じます。

『自分がそうさせている。』

あなたはヒドイ言葉を言われた時に、どのように対応してますか?