氣多神社社務所は境内の外にある民家です。御朱印はこちらでお願いします。
この8年後の再参拝記はこちら↓
さらに、前回のリンクブログを読むと、古城公園の風景にデジャブと書いてあったが、これはどうも学生時代の夏休みの北海道旅行の道すがら高岡駅で降り、大仏を見に行った時に、少し足を伸ばして古城公園の入り口まで行ったからだ。
都合二回、射水神社の前でUターンしていることになる。

正面奥の階段の先が氣多神社。この道の左側が社務所です。御朱印をいただいた後、社務所の庭で荷物を整理していて御朱印帳を窓口に置き忘れたまま、高岡駅まで帰るのでした。

帰りも徒歩。越中国分寺跡がありまして、この周りに地蔵さんが並んでいます。

御朱印帳を社務所に忘れたのに気がついたのは、前回も書いた通り高岡市内の古城公園内にある射水神社の鳥居をくぐる前なので、まだ気がついていません。

電車待ちを兼ねて、越中国分駅の周辺をぶらりと散策してみました。この先の海が見える鉄道が気になり、行ってみたい気もしますが…

これ以上東へ向かう時間の余裕はないので、帰路ルートをとります。来た同じルートも面白くないので、ここから富山→高山本線を使って岐阜へ向かいます。

ここから先が前回のブログでリンクしていた過去ブログの解明ですが…私は2015年のブログを書いた当時、この2007年は鉄道が不通になっていたことを忘れていました。

↑《ここまで・この先のルート》
琵琶湖南岸の石山(建部大社)から分岐点の米原→東海道本線で垂井(南宮大社)、米原へ引き返して北陸本線で敦賀→金沢→富山、翌朝引き返して高岡から氷見線で越中国分(氣多神社)、ここまでのルートです。
この先は、引き返し富山経由で高山本線で岐阜へ抜ける計画でした。(この路線図は2015年のものなので、この年開業した北陸新幹線が地図に載っています。当時は建設中の高架を富山駅で見ました。新幹線開業後の現在はJR在来線だった金沢↔富山区間は第三セクターに移管されており、JR線の乗り換え駅である津幡、高岡、富山駅以外では「青春18きっぷ」での下車は出来ません。)

富山駅から猪谷駅へ。11時21分。なんと鉄道はここで足止め。
当時、平成16年10月22日の台風23号による大雨によって岐阜県飛騨市宮川の線路や鉄橋が流失した復旧中で、猪谷駅 - 角川駅間が不通でした。

思いの外の代替バスで角川へ向かう。線路はこの翌月8日に全線復旧している。
バス内から山間部の風景を眺める。
高知から旅に出る時は四国山脈を越えなくてはなりません。山間部の風景は見慣れていて、四国では何も感動はないのですが、四国以外の山深いこんな光景見るのは初めて。「ああ、いいなあ」と心から思いました。
きっと四国に旅行しに来る人たちも、こんな気持ちで谷を眺めるのだろうなあ、ということがわかった、これは貴重な体験でした。

代替バスの終点、角川から再び鉄道で飛騨一ノ宮駅へ向かうことになります。

気動車が来ました。高山本線は電車ではありません。この辺の山の空気感がいい感じです。旅の気分が盛り上がります。

角川→飛騨高山の途中、プラットホームから上がれる神社がありましたが、どこの駅か確認が出来ていません。

午後1時ごろ、飛騨高山駅着。雨が降っていた。乗り継ぎ便がどうやら2時45分までなさそう。バスを調べると早い便があったので軽く食事をして一ノ宮へ向かう。

国道41号。こんな山間部でも一ノ宮はある。次回は、右の案内看板の神社です。

夜が明けて一番電車で越中国分駅へ。
さて、同じ神社へ向かう過去のブログを貼っておきたい。
(過去ブログといっても2015年。この今見ているブログは2007年、さらに過去の話ですので、ご注意)
この過去ブログで提示した謎を解明しよう。11時21分角川駅と書いているが、これは猪谷駅の間違いだと判明した。(その詳細は次回)

ただ、御朱印帳を氣多神社の社務所に置き忘れたのは、おぼろげに記憶にある。
復習してみよう。

越中国分駅は、その先に海が見える土地にある。(徒歩での距離は越中国分駅からが近いのでこちらに降りたが、伏木駅下車でもそれほど差はなさそう)

駅からここまで、徒歩10分とは言うものの、けっこうな坂道です。もっと時間がかかったような気がします。
ちなみに社務所はこの手前にあります。

左の馬にご注目ください。雨に洗われた朝の森はしっとりとした雰囲気に満ちています。

社殿が見えてきました。

清々しく、それでいて神秘的。この旅では一番の神威を感じた神社です。

社殿を左に奥手に歩いていくと、散歩コースがありました。

何もかもが神秘的で清々しく、思い出すのは京都の元伊勢皇大神社に似た空気感でした。しかし、この神社の御祭神は天照大神ではありません。
大己貴命、つまり出雲大社の大国主命、
そして、その妻神の奴奈加波比売命です。この二柱の子が建御名方神(諏訪大社御祭神)です。

あれ?大国主命の妻神は八上姫(白兎神社のブログ参照)では?と思った方、それも正解なのです。大己貴命は因幡で妻を娶り、その後、越後で妻を娶りました。他にも妻神は素戔嗚尊の娘、須勢理比売命、田心姫命(子=味耜高彦根命)ほかたくさんいます。モテ男ですね。

しかしこの氣多神社は、出雲大社のようなおおらかな気というより、元伊勢皇大神社で感じたような神秘的な気です。

これは奴奈加波比売命の気、なのかもしれません。今思えば、雨も歓迎の験だったのかもと。

二枚目の写真の左手にあった湧き水です。この水がまた美味しいです。パワーありそうです。

これは社務所前から街を眺めた光景。ちょっとズームして…

海が見えます。実はこの電柱の頂点に🦅鷲か鷹が留まっていたのですが、撮り逃がしました。
下の写真は社務所の隣に建てられている武道館です。

神社一ノ宮巡拝62社め◆氣多神社(越中国一ノ宮)
富山県高岡市伏木一宮1-10-1
御祭神:大己貴命 奴奈加波比命
JR氷見線越中国分駅より徒歩10分
ただ、私が2015年にしたように伏木駅でレンタル自転車を借りて行くほうが楽かも。坂の上ですが。
(次回に続きます。)



引き続き南宮大社。大きなさざれ石が置かれています。

金属の神である御祭神にちなみ、包丁や農業用の刃物などが展示してありました。

実は最近、関裕二さんの著者「神武天皇vs.卑弥呼」など、古代史の本を図書館で借りて読んでいますが、青銅器や鉄器などいわゆる金属は、農機具や武器の製作につながるもので、古代の人々が金属の神を祀ったのは頷ける話です。

そして、考古学は発掘された土器や金属器の特徴、地域分布をひもとき、さらに私がこうして全国の神社(一ノ宮だけですが)を巡っていると御祭神にも地域分布があることに気がつきます。
その地域の古代人が祀った神、使用した土器、鉄器、の分布から豪族の勢力分布がわかってくるわけです。
例えば初代の神武天皇は架空の人物説などがありますが、あながちそうとも言い切れない…などが判明してきます。

僕にとって興味深いのは、出雲の神、大己貴命を祀る一ノ宮が、北陸には多く、また古事記で神武天皇が即位する以前から大和にいた神、ニギハヤイ命(天照国照彦天火明命)を祀る一ノ宮神社が京都の海側、また遠く離れた愛知県にあることです。あるいはその京都には出雲大神宮という、一見場違いな一ノ宮もあります。
これは、それらの神を祀った古代の人々のつながり、移動、文化圏を物語るのですが、ただ、この頃の私には、そこまでの考察はなく、ここにこの神がいるのは不自然だとか、そんな疑問が湧いてくるだけでした。

さて午後5時半。駅に戻って、次はどこへ?と考え、敦賀(福井県)、金沢(石川県)、富山のいずれかの一ノ宮を翌朝参拝するところまでは決めたけれども、問題は寝る場所でした。とりあえず米原経由で敦賀へ。そう、北陸への旅でした。

19時26分、敦賀駅。もちろん初めて降りたのですが…

敦賀駅前でネットカフェかサウナを探すもありそうにない。当時はスマホではなくケータイの時代。ホテル等の宿泊施設以外は検索が容易ではありませんでした。というわけで金沢へ。

22時。金沢駅の近代的な風貌に驚き!

駅前の広場には若者がたくさんいます。
少し興味がわいて、金沢の街を歩いてみましたが、駅は都会的ながら、路面電車も地下鉄もなくカフェもサウナもなさそうでした。

石川県には二つの一ノ宮があり、白山比め神社は最も行ってみたい神社でしたが、この後八年間お預けとなるのでした。
しかし実は富山には一ノ宮が6社あり、富山なら朝までどこに行くか悩めそうです。ワクワク。

どうも金沢での野宿はあきらめたほうがいいのかな、と富山に行ってみることにしました。時間が時間なので最終便。行ったら戻ってこれません。

学生時代、2分の乗り換えに間に合わず富山で時間を潰した記憶があることを以前(2015年夏旅)も書きましたが、それ以来の二度目の富山です。

と、いうわけで深夜0時前の富山駅前。2014年に閉館した東横インJR富山駅前がこの写真では見られますが、新幹線が開業した現在の富山駅前は全てがこの写真とはまったく別物です。左のアーケード辺りを深夜にうろうろした記憶があります。

ここで、深夜、宗教の勧誘をしていた若者にネットカフェかサウナがないか尋ねると、「この辺にはないから、僕の家(うち)で寝れば?」とお誘いを受けましたが、初対面でいきなり…で、悩んでお断りしました。

深夜3時頃、高橋尚子だ!と撮った写真。富山駅は(現在は定かではないが)シャッターを閉めることはなく駅が開いており、金沢には戻れないし、この日は待合室の椅子で寝ました。あまりぐっすりは寝られず。(次回に続く)