早速、前回の続きでございます。🙇♀️
草津温泉の旅館に、2泊位したでしょうか。
最終日の夜、明日は帰るだけ。と言う前日の夜中の事。
違和感を感じて起きた私は、鼻血が出ている事に
気づいてティッシュペーパーで拭きながら、止めようとしていました。
しかし、一向に止まる気配がありません。
いや寧ろ、出血は増えて行く…。
幼い私でも、この異常さに気づき、それまでは遠慮して(疲れているであろうと、幼心ながら気を使っていたと思われます。なにぶん古い記憶ですから、当時の心境は分かりません)起こさないでいた母を起こしました。
母も驚き、朝までずっと付き添い、何とか止めようとしてくれました。
父も朝に起きて驚き、朝食も摂らず帰る事になりました。旅館の方々も心配して下さっていたと思います。
ですが、子供の鼻血など良くある事。
当時の両親は重大には捉えず、救急車を呼ぶ事も無く、代わりに呼んで貰ったのは、タクシーです。
今思えば無謀な考えですが、タクシーで東京まで戻るつもりで居たようです。
父が前に、母が後ろに座り、私は母の膝に頭を置いた状態の仰向けのまま、出発しました。
群馬県の草津から、同じ群馬県の前橋までは何とか進んで来ましたが、私の状態は悪くなる一方。
溜まっていく鼻血付きの大量のティッシュ、グッタリ状態の小さな子供……おそらくですが、出血多量状態で朦朧としかかっていたのでしょう。
それでも、東京に向かう親父。
若かったのでしょうが、無謀過ぎだ。
今思うと、おーやーじぃ💢と怒りたくなりますが、
小さい子供は、身体のしんどさに耐えるばかり…。
初老の運転手さんが、見るに見兼ねて病院に行きましょうと言って下さったらしいです。(母・談)
しかも、「群馬大学附属病院と言う大きな病院があるので、そこに行きましょう。周りは一方通行の道ばかりだが、緊急事態なので逆走します!私は捕まっても構わないから、任せなさい!もしパトカーが来たら、事情を説明して先導させます!」とまで言って下さり、本当に逆走して、最短の道を行って下さったとか。
(格好良過ぎます、運転手さん)
私の命があるのは、このタクシーの運転手さんのお陰です。ずーっと後になって大きくなってから、その話を聞いた時、お礼を言いたいと思いましたが、探し出す術(すべ)を知らずに、こうして月日が経ってしまいました。
もはや鬼籍に入られていらっしゃるでしょうが、この場を借りて、心からお礼を申し上げます。🙏
あなたのお陰で、今の私が居ます。本当に、ありがとうございました。🙇♀️💐
病院側に説明してくださったのも、運転手さんだと思います。病院側も急患と言う事で、対応してくれたようです。
私の記憶に残っているのは、ふと眼を開けたら何かに仰向けに乗せられ、ガラガラと運ばれて行く。何人かの大人の真剣な顔…。です。
恐らく、病院の玄関からストレッチャーに乗せられて運ばれていたのでしょう。
それまでは意識を失っていたのかも。
緊急入院した私は、様々な検査を受け、当時出された病名は…『突発性血小板減少紫斑病』
現在は難病指定ですよね。
当時は指定が無かったと聞いています。
最近になって、お医者さんによっては「あなたのは良く似た別の病気でしょう。」と仰る方が居ました。
医学的にはそうなのかも知れませんが、この当時私に下された判断は上記の病名ですので、私は今でもそう解釈しています。
幼い私1人を、群馬県の知らない病院に残す。
それは出来ない!と、母が一緒に泊まり込んで看病することになりました。
母と私の闘病生活の始まりです。 (つづく)