まずこの1ヶ月と少し。ご心配ご迷惑おかけしてすみません。
大切なお話です。
平成27年11月21日、深夜
僕の、大切な家族の1人が、
重度のくも膜下出血で
意識不明の重体となり、
そのさなか、もう一人。
平成27年12月28日、18時57分
別の、大切な家族の1人が、
癌の為、
闘病の末、亡くなりました。
最期に2人を会わせたくて、、
この1ヶ月、
毎日必死に
何回も何回病院と病院を往復しましたが、、
それは叶いませんでした。
3人で暮らしていましたから、
今は僕は家に1人になりました。
広い部屋は虚しく音が響きます。
このどうしようもないほど、
悲しい出来事から、皆さんに伝えたいことがあります。
-------------------------------------------
2014年夏。
その人への末期癌の診断は、青天の霹靂でした。
潜在意識的に、
人間、癌になるのは、もっと年をとってから、ってイメージがあって、
20代の僕たちには、正直、
馴染みの無いことでした。
『え、なんで?』
としか、頭にありませんでした。
本人が一番、驚き、そして、不安の中にいたと思います。
その日からすぐ
その人と、もう一人の家族に、
僕の家に引っ越してもらい、
三人で一緒に住み始めました。
その人は、仕事を休んで、
抗がん剤治療を、頑張る。と決めたのです。
そのときは、、、
『5年生存率10%以下?この人なら治るだろう!』
と、安易に考えてました。
治療中、本人は、実は相当辛かったはずですが、
僕たち家族の前で、亡くなる迄一切の弱音を吐かなかったのです。
辛い、とか、しんどい、
とか、
一言もいいませんでした。
『大丈夫?』ときいても、
『全然なんともない。』
というので、そこに僕は甘えていました。
その心の痛みを取り除くことができなかった後悔ばかりが残ります。
----------------------------------------
2015年春前。
今年に入った頃から、、、
本人は段々外との連絡を絶っていきました。
明るい性格で、飲みにいったり、出かけたりすることも好きだったのですが、
家にずっといるようになりました。
治療による見た目の変化や、
なにより、
可哀想と思われたくなかったり、
心配をかけたくない、
という思いで、どんどんふさぎこんでいきました。
どうにか外に出て欲しい!
との思いで、
『なんで、外にでないの?!いいの、それで??』
なんて、今思えば本当に傷つけるような喧嘩したこともありました。
それでも、その時は、まだ、『死』なんて、想像もしてなかったし、
したくなかったんだと思います。
いや、本当にできなかった。
それほどその人は、
まだぜんっぜん、
元気に、見えました。
------------------------------------------
そんな中でも、Switch Of Voiceのライブには、
ほぼ皆勤賞で来てくれていました。
最初は僕が無理矢理呼んでいましたが、
いつのまにか勝手にチェックして応援しに来てくれるようになりました。
僕にとっては、
メンバーの成長する姿や、
ファンの皆さんに愛していただいている姿を見せれたから、よかった。
それが、その人の、パワーになっていたことを目の前で、実感できたから。
僕に唯一納得できた、恩返しでした。
もっと凄い景色を見せたかったといえば、どんどん後悔はでてくるけれど、
それでも1年半、悔いないほど、
僕とS.O.Vは、
進んで来て、その姿を、見せることができました。
---------------------------------------
2015年11月。
僕たちにとっては、なんの代わりもない日常でした。
その人も、安定しているように見えました。
18日なんかは、ふつうに3人近所の居酒屋に飲みいったりしてたんです。
なにがおこるとも誰も思っていませんでした。
忘れもしない21日深夜。
ここから全てが変わっていきました。
その人ではない、もう一人の同居の家族が、
突然、
重度のくも膜下出血になってしまいました。
意識不明の重体で、ICUにはいりました。
わけのわからぬまま沢山の同意書にサインし、みんなでICUのまえで待ちました。
医師からは全てがヤマだと言われ、毎回覚悟をお願いしますと言われました。
そんな状況が、
2週間続きました。
(くも膜下出血には、脳血管攣縮という脳梗塞を引き起こす可能性が2週間あるといわれています。)
呼吸器を外してしまったら死んでしまう、今にも何か起こして死んでしまうんではないか、と、
本当にずっと心配で止まりませんでした。
もっと沢山話せばよかったとか、
もっと沢山恩返ししたかったとか、
そんなことばかり頭に浮かんできます。
でも、僕はプロのミュージシャンですから、
ステージに立つのです。
見に来てくださる皆様の時間を頂いている以上、
自分がどのような状況であれ、楽しんでいただくことが、
僕の仕事、なのです。
男が仕事を全うしないで、どうやって家族を守るんや!と、
自分を奮い立たせ、
ステージに立ち続けました。
倒れた本人も、、、
僕がうじうじしているより、そうしていて欲しいと願っているはずですから。
いつだって、それほど、
僕の仕事を、応援してくれる家族なのです。
---------------------------------------
2週間が過ぎ、12月6日ごろ、無事、一般病棟に移ることができました。
それまで、僕もそうですが、
癌であるその人も、家族の為に毎日病院に通い続けたのです。
正直皆からだはズタボロでしたが、
もう再発の危険も脳梗塞の危険もない、
あとは回復を待つだけ、ということで、
ようやく一安心。
勿論これからが回復へむけてのリハビリで、勝負ですが、
家でみんなで命が助かってよかった!とビールを乾杯をしたのを、今もはっきり覚えてます。
これが、さいごの乾杯になるなんてまったくおもってませんでした。。
----------------------------------------
その後12月9日は、S.O.V5周年にその人は来てくれ、
くも膜下になった家族の脳への刺激の為に
僕のLive映像を必死に録画してくれました。
(あとで知ったことですが、その時、既に、相当実は苦しかったようです。)
そこで生バンドで歌ったkiroroさんの『生きてこそ』。
届いてるといいな。!
----------------------------------------
12月12日。
最近呼吸の様子がおかしいかな?
とおもっていましたが、
本人にきいても大丈夫というので、
『やばくなるまえにすぐいいなよ!』
といってましたが、
12月13日。
やはり相当様子がおかしかった為緊急入院。
病院についたときには、
酸素サチュレーションが60%代。
普通の人の半分以下しか呼吸ができていない。
呼吸不全の状態でした。
そんなに苦しくなっていたなんて、、、もっと早く気付いてあげれればよかった。
そのときは、酸素を吸入したら、
あ、楽になった!
ってゆってたようで、安心してました。
-------------------------------------------
翌日、主治医の先生より、家族に話があるということで、
一人病院へ。
入院が長くなるのかなぁ?なんて思っていたら、、、
『非常に申し上げにくいのですが、癌が進んでいて、もう、抗がん剤はできません。』
と、言われました。
僕は
『???』
という感じでした。
え、そんなに悪いの??
できないってことは、あとは数ヶ月で死ぬのを、待つだけ??
って感じでした。
癌の病状の説明は、いつもはくも膜下で倒れた家族が受けていたので、
丁寧に僕に説明し直してくれました。
癌が、、、こんなにも進んでいることは、最悪の想像はしてたといえど、
本当に寝耳に水を打たれたような、
無の衝撃でした。
特に、、10月から11月にかけての進行がひどかったようです。
そして、病院に毎日必死にお見舞いにかよったり、無理したのもあるのか、、
更に、
『肺やその周りのリンパや胸水に癌が転移していますし、
その中で、今回肺炎を起こしてしまったので、
もう肺に回復する力がありません。』
『会わせたい人はいますか?』
と言われました。
どんどん進められる話に僕は理解ができぬまま、
『え、あと何ヶ月なんですか?』
と混乱しながらきくと、、
『突然ですが、、、もってあと数日だと思います。。』
、、、戸惑いを隠せない僕に、
主治医の先生も泣きながら話してくれました。
『本当に、若いのに、こんなに辛い治療に耐え、
抗がん剤も一回も休まないで、
弱音も一切吐かないで、
○○さんは、本当に、生きる為に、
よくがんばった。』
『最期の最期まで、
1日でも長く生きれるように私たちも頑張りますから。』
と。
そこで初めて理解して、
受け入れました。
癌って、こうやって死ぬ病気なんだ、と初めて理解したような気がします。
俺がクヨクヨしてどうする、
と。
泣かない、と決め、
本人のいる病室に戻りました。
元気そうに見せてくれる、
めちゃくちゃがんばってる本人をみて、
この姿、みせられてるんだ!俺も頑張ろう、と心に決めました。
-------------------------------------------
ただ心残りは、
一番本人のことをだれよりも心配していた家族の一人が、
くも膜下出血で、
まだ意識がはっきりしないということ。
『会わせたい人はいますか?』
ときかれたけど、
そんなん、
家族にきまってるだろ!
ということで、
一刻も早く目覚めさせる為に、
毎日2つの病院を何往復も、
何往復も、
何往復も、、、
とにかく、車を走らせました。
レッスンは振替させていただいたりしたけど、
ライブは全部でながら、、、
(ゴスペルシンガーなので12月繁忙期。)
ズタボロだけど、本人達の苦しみにくらべたら、
本当に本当になんてことないことだったんです。
本当に、いざ本当に、辛い人を目の前にすると、一生辛いなんて、言えないし、
思わない、と思った。
これを心から思わせて貰ったことは、、
僕が貰ったgiftです。
------------------------------------------
結局、、、
くも膜下出血の回復は思った以上に時間がかかり、
声を聞かせられるほど回復はしなかったけれど、
それでも、毎日がんばって回復していく姿を見せることができて、
そして、ときには電話を耳元に当てて本人の声を聞かせたりして、
家族として、、
濃密な時間を過ごすことができた気がします。
二人が会えない、
のは、
本当に、本当に、
悲しかったし、
たった一ヶ月前には、想像もしなかったことだったけど。
でも、、、
やっぱり、思ってしまう。
二人が何をした?
もっと苦しむべき人罪人なんてたくさんいるだろう!!
こんなにがんばってる人にばっかり、なんで神様はこんなことを与えるんだろう。
癌が憎い。
癌が憎い。
脳卒中が憎い。
脳卒中が憎い。
そうおもったときふと思ったのは、
日本の死亡の原因
1位と、3位だ。
こうやって、悲しんでる人、
日本中にたくさん、、いるんだ。
二つを同時に経験した僕に、アーティストとして何ができるだろう、となんとなく考えた期間でもありました。
にしても、若すぎるよ。。
本当、若いのに。なんで?
これからやりたかったこと
みたかったこと
たべたかったもの
いっぱいあったでしょ。
結婚して子供を産んで、孫ができて、
そんな当たり前を、描いてたはずでしょう。
なんでなんだろう。
と、腑に落ちないけれど、
僕がいくら考えたって、
本人の、
精神的な、肉体的な、辛さは想像を絶するので、
僕は、明るく、ただ、明るく、その時、を迎えました。
-------------------------------------------
12月28日18時57分。
晴れた日でした。
癌による呼吸不全で、
その人、は、亡くなりました。
寝てたまるか!と、がんばったので、
相当辛い時期は続きましたが、
最期の最期は、
眠りながら、、、
ロウソクの日が穏やかに、消えるように、
亡くなりました。
亡くなったと言われても、
まだ温かいからだに、触れながら、
ありがとうと、何度も伝えました。
先生や、看護師さんも泣いてくださり、
愛のある中で精一杯治療を頑張れたんだ、
と、感じれて、よかった。
心配で心配でしょうがなかったであろう、くも膜下出血になってしまった家族の回復の兆しを、感じる中で、
自分の心配や弱音は吐かず、
最期まで人の心配ばっかりしてる、
そんな人でした。
尊敬しか、ありません。
『クリスマスはミッドタウンのイルミネーションにいく予定だったのになー』
『お正月には家に帰って、きなこのお餅を食べたい』
と言っていたことは、
叶わなかったけど、
苦しみから、
解放されて、
よかった。
---------------------------------------------
きっと、見るのも辛いような文章を、
公に書いてすみません。
僕は、、、
これここに記すことを通して、
皆に、何を伝えたいか。
それは、、、
1・癌検診を受けてくれ!
2・会いたい人にはいつまでも会えると思うな!
です。
1は、、
実は僕は、家族が癌だとわかったとき、
その若さと、進行の速さに衝撃をうけたので、
周りの人にも、
癌の検査受けなよ!
っていいました。
症状がでてからだと手遅れな場合が多いです。
そうやって伝えると、皆、
『うん、そうだね、今度受けてみよー』
って軽く言うんだけど、
実際受ける人は殆どいないんだ。
結局、、経験則以外は他人事になりがちなのです。
しっかり、全部ありえることです。本当だよ。
今回、20代の家族が、
このように本当に、本当に、苦しんだこと、悲しんだことを、
僕がここに記すことによって、
少しでも同じ想いをする人が減ればいいな、と思います。
区市町村でしているような無料のものや、
体の小さな異変をしっかり見落とさないこと。
そして、大切な家族のそれにも、気付いてあげること。
手遅れは、本当に、手遅れ、なんです。
2・は、
本当に、当たり前って、ないんだよね。
こんなこともあるのか、って、思ったんです。
今あるものが当たり前に思うな!ってありきたりなセリフだから、
どう言ってもなかなか響かない場合も多いんだけど、
僕は、今回、、、
先月まで当たり前にあって、
みんなが年寄りになるまで
なんとなくあるだろうとおもってたものを、2つ、
1ヶ月でなくしました。
1つないだけで、もう、全部違うんですよ。
だから、、
ありきたりだけど、、
解決しないことに悩む時間は、隣にいる人に、
『ありがとう』を伝えて欲しい。
明日言えなくなること、たくさんある。
本当だよ。
---------------------------------------------
この想いが今届かなくても、
僕は、ミュージシャンだから、アーティストだから、
そんな想いを感じてもらえる曲を書くし
歌を歌うし、
関わってくれるみんなの人生から、
少しでも、、、
突然の悲しみの辛さを減らしたいとおもったから。
これからも、明るく、楽しく、がんばります✨!!
S.O.Vメンバーも、『歌えることの幸せ』
『夢を追える毎日があることの幸せ』
を、
心より感じてくれています。
11、12月は、、上記の理由で、ご迷惑おかけしました。
来年からは、
もう、
全力疾走するしかないので!!
僕は、、、、弱いですから。
皆さんが必要です。
応援、、よろしくお願いいたします!!
鳥山真翔
追伸。
✌️
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
□■□■□■□■□■□■□■□■□■
※無料体験レッスン、ライブのご予約、カウンセリング、セミナーやその他お仕事のお問い合わせはこちらから
switchofvoice@gmail.com
or
(http://www.switchofvoice.com)
⭐︎公式twitterアカウント