三笠フーズよ! お主もか! 私達は中国を非難している場合ではない。
今朝の朝日新聞のトップ記事に「カビ米 食用と偽る」と出た。
ネットで調べると詳細の記事はわかると思うのでここでは省略します。
海外から輸入した米(ウルグアイ・ラウンド合意とかで輸入を義務付けされているらしい)に、政府の検査で食用に不適とされている米を事故米と言うらしいが、この事故米を三笠フーズ(本社・大阪)はこともあろうか、和菓子・米菓・焼酎・肥料メーカに販売していたそうな。
三笠フーズ曰く、「カビの塊を取り除き、米粒を洗浄して出荷」したと認めているようだ。
検査して問題ないと判断した分について使用したとあるが、私はいつも思うが「では、あなた達はその商品を食べることはできるのか? いや、食べる気はするか?」と言いたい。
最近特に、食品偽装が多いが、儲けるためには何をやっても許されるのか?
偽装した食品をどう思っているのか?
最近、私は自分の周りの人によく言うのだが、「産地が偽装されるよりも、キチンと例えば中国産と明記されているものの方が安心だと思う」と。
今、中国産といえば逆風がしかも強烈に吹いている。その中で、中国産と正直に明記するのには苦労すると思うが、逆に考えるとこれだけ農薬問題とかが表面化しているのだから、検査もキチンとしている(生産者側ではなく、輸入側での検査としての意味)のではないかと思う。
こんな事件があると、日本人は中国人をはじめ多くの国の人達のことを非難できないのではないだろうか。
自国の実情がお粗末では誰が相手にするだろう。
個人レベルでも考えてわかるように、自分の事をしっかり出来ないのに、他人の事ばかり指摘する人のことを誰が信用し相手にするだろうか。
私を含め日本人はもう傍観者ではいけない時代になっていると思うよ。
小さい事かもしれませんが、大きな問題だと思う
実はここのブログを書くきになったのは、この内容からなんです。
あなたの住んでいる街はどうですか?
交通ルールを無視している人多くありませんか?
例えば、自転車に乗っている人。右側通行していませんか?
歩いている人。左側通行していませんか?
自転車に乗っている人。片手運転していませんか?
自動車に乗る人。逆向き駐車していませんか?
道路の造りの関係で止むを得ず自転車が右側通行したり、人が左側通行したり、安全を確保する為の措置としての場合を除外したとしても、あまりにも多いです。
私の住む関東では、駅構内を含む建物内では左側通行にしているところが多くあり、私はこれも交通ルール無視の原因のひとつになっているのではないかと考えています。
交通ルール無視は、小さな事かもしれません。しかし、何か事故でも起こってからでは大問題になります。
私は普段からなるべく、徒歩の時は右側を通行し、自転車とかタイヤの付いたものに乗るなり運転するなりの行為をしている時は左側通行するようにしています。一部ルール無視になっている場所もありますが、安全を考慮してその場所はルール無視しています。しかし、その区間はなるべく短くなるようにしていて、今私がここで問題としているものとは少し感覚が違います。
例えば、駅前の通りって比較的広く造られているところが多いと思いますが、このような場所ですら歩行者が左を車(法定で言うところの車ですので、自転車やリヤカー等タイヤの付いているものも含みます)が右を通行している輩が多いのです。
これは、大問題じゃないのでしょうか?
多分、問題ではないと思って行動されている方は、そのほうが便利だと思っているからでしょう。(細かく分析すると、自己中心的な考え方につながる)
このように、交通ルールすら守れない人が多くなっているこの日本。よいのでしょうか?
よく話題に、子供が云々とか言われますが、子供は大人の真似をまねることによって知識として覚えます。その大人が世の中のルールを無視して、子供にルールを守りなさいと言うのは子供は理解できません。そのようなルール無視を当たり前のように幼い頃から学んだ大人がルールをキチンと守れるのでしょうか?
子供のときからキチンとしたルールを教えることも必要ですが、一緒に大人もキチンとしたルールを学ぶべきなのかもしれません。
少しそれますが、中国の地方都市へ行くと未だに大人達は路上に痰を吐くことに罪悪感を持っていません。でも、この行為を普通の日本人として見た場合どう思いますか?
中国の対策としては、子供の教育を通して家庭でも良くない事だと伝える事をしています。
このように、大人たちも子供から学ぶべき事は素直に学び、改善すべき事は改善するように努力しなければいけないと思う。
人が生きていくことは、一人ではできません。
だからこそ、ルールは必要になりますが、このルールが多くなればなるほど住みにくくなります。その為にも、今あるルールを守って一人でも多くの人が気持ちよい思いで日々過ごせる世の中になって欲しいものです。
経済が後退局面ですが…
今の日本の政策って、あまりにも外国に頼っていないだろうか?
確かに、自給自足が出来ないこの日本では諸外国に頼らないと殆どのことは出来ない。
でも、そのような政策を推し進めてきた結果が今であることももう一度認識して欲しい。
例えば、米問題。
米農家を厚遇しつつ、減反政策をし米の消費を減らし続け小麦の消費量を押し上げた。結果的に輸入に頼っているためイザというときには建て直しが難しくなっている。
原油だってそうだ。
元来原油の生産が皆無に等しいわが国日本で、もっと国中心に他の代替エネルギーに移行しておくべきだったのではないかと私は思う。
日本人は元々創意工夫が得意な民族だったのだから、例えばソーラーカーレースなんて毎年行っているくらいだから、これらを上手く国主導で推し進めれば何かしらの結果が今よりは出ているのではと思う。
そして、最大の問題は(誰も言っていないようだが)企業にかける税金の高さだと思う。
私達人間は自らが豊かになることを目指して働いている。豊=金持ちではないが、少なくとも豊になるためにはお金が必要である。
そして、一生懸命に働いて(人によっては身体。人によっては頭脳)お金を稼ぐ。しかし、殆どがこの労働を無視してより多く稼ぐところから莫大なお金を巻き上げている。
確かに働きたくても働けない人もいる。でも、働かなくても税金をもらっている人も多くいる。だから、お金を稼ぐ人からお金を徴収し働けない人に分配する。この基本的な考えは悪くは無いが、行き過ぎな感もある。だから、節税の為に企業が競って海外に進出したという経緯もある。表向きは現地生産がコスト安とかいっていたが、節税対策に海外へ流出しているという理由もある。有名人が海外へ移住するのも実は節税対策が殆どである。
少し話しは脱線するが、私はビールが大好きだ。しかし、今はまがい物をよしとしているのではないかと思うときも多々ある。原因は税金の問題だ。
各ビールメーカ様は正直に商売をしてきたところ、政府は自分たちの無能さを隠すように儲けているところから税と称して莫大なお金を巻き上げている。各ビールメーカ様はそれに対抗するように発泡酒・第三のビール…とだんだんとまがい物を作らざるを得ない状況に追い込まれた。
先日、義理の親の家でビールといわれ出されたものがリキュール類のビール風飲料だった。我が家では私がビール好きなので、必ずビールかどうか確かめるようにして購入しているので、未だビールを飲んでいる。
しかし、このビール風飲料は正直「不味かった」世の中の人達はこれらを飲まされているのかと思うとかわいそうになった。
もしかすると、私も似たようなまがい物にだまされているのだろうと思うと「なんだかなぁ~」という気にさせられた。
そういえば昨今、産地偽装が毎日のように報道されているが、普段からこのような事を国をあげて行われているのだから、産地偽装はおろか商品偽装されてもわからないのだろうなぁと思う。
恥ずかしながら私の亡き父は私が幼き頃鶏肉と豚肉の違いがわからないらしく母と喧嘩をしたとよく母に聞かされていたことを思い出した。
似たような話では、水族館で子供がブリ等の魚が切り身でないことを知りビックリしたとかという嘘のような話をよく耳にするが、最近ではあながち間違いではないのだろうなぁと思うようになった。
かなり、話がそれたような気もするが、もう一度整理しておこう。
経済後退局面になったのも、産地偽装が横行するのも、あまりにも外へ依存する体質が問題なのではないだろうか。
また、昔からある「安かろう悪かろう」や「有名ブランドが安心」という感覚が私達消費者の中にある限り改善されないのかもしれない。
今騒がれている中国産問題は私は、そこまで毛嫌いしなくてもいいと思う。
日本でもそうだったが、消費者が育てば生産者も育っていく。
一昔前は、有機農法や無農薬農法について本当に理解している人は皆無に等しかったが、今では消費者よりも生産者が非常に努力しているお陰で安心・安全な食品へと移行している。
そのことを考えると今の中国は当時の日本と同じだと思う。
また、有名ブランドは高くても買うという消費者がいる限り偽装はなくならないのだろう。
今現在外に頼らなくても出来ることはなるべく維持するようにし、今外に頼っていることはなるべく自国内で完結できるような国づくりができると未来は明るいのではないだろうか。
原油が高いなら、使わない方法を考える。どうしても必要なら、代替の方法を考える。
最後に、今東京電力が毎日「でんき予報」を出している。
柏崎刈羽原子力発電所が停止しているにもかかわらず、予想最大電力よりも供給力のほうが大きいのです。
じゃあ、柏崎刈羽原子力発電所(7基中3基が定期検査で停止中)は不要じゃないの?
いろいろ調べてみると面白いが、殆どの企業は全てのモノを消費する方向で節約をうたっている。(新しいモノに変更とか)
確かに新しいモノに変更すると従来の製品よりも節約に即つながるモノが多い(廃棄したときの状態を除く)が、基本的な考え方はどうなんだろうと思う。
先ずは、使わないことから推し進めどうしても削減できないモノについては新しい製品にすることで節約にするべきではないだろうか。
今は、京都議定書から-6%では達成が不可能で-12%とかとも言われている。だとすればなおさら真っ先に使わないことを前提としないと意味がないと思う。