お盆に入り、山形の夏もいよいよ終盤あじさい


夏の終わりを感じるようになると、
立っていられないほどに、胸がしめつけられてしまう私ですあせる



明日、8月15日。
67回目の『終戦記念日』を迎えますブーケ2



$☆ チズコの幸せの魔法 ☆



大切な大切な命が、たくさんたくさん、失われました。




この時期になると、我が母の『戦争話』がとまらなくなります。


山形出身のいとこ同士で結婚した祖父母は、上京し、
浅草でスリッパ工場を営んでいたそうです。


長男(叔父)と長女(母)誕生。
その後、弟、妹も、、、、。


時代は、激しい戦争に突入。


勝つと信じて、日本は闘い、祖父も戦地へ。


そして、、、東京大空襲。


親戚が助けに来てくれたらしく、


祖母は、幼い叔父と母を連れて逃げました。


大混乱の中、わけもわからず走っていると、


祖母が『忘れ物をとってくる!』と
幼い兄弟をその場において、工場へ戻ったそうです。


祖母は、工場で使っていた”ハサミ”が、


のちのち役に立つと思ったらしいのです。


その場に残された当時5才の母にとっては、


それがとてもつもなく長く、涙も出ないほど怖かったそうです。


祖母が、何とか無事に戻って来られたのでよかったけれど、


『もし、、、ばあちゃんが、爆撃にあっていたら』


そのぐだりになると、いつも涙を浮かべて、


『お母さん、『火乗るの墓』の節子が自分に思えて、見られないの』と


また泣くんです。



$☆ チズコの幸せの魔法 ☆




『亡くなった人も、本当にみんな可哀想だけど、
 その後の暮らしも、みんな苦労したよ・・・
 それはそれは、大変だった、、、ちいちゃんには話せない・・・
 話せないことなんて、たくさんあるよ・・・』


と涙ぐんで、あまり教えてくれません。



疎開先の山形で終戦を迎えた母達。


祖母の親戚に、バラバラに預けられ暮らしていたといいます。


長男の叔父は、当時でも食に困っていなかったという大家族の家へ。



『長男には、何とか生きてもらわなくては!』
 この時すでに、母の後に生まれた幼い息子、娘の2人を
 亡くしていた祖母の強い思いがあったそうなんです。



食べるには困らなかったものの、
東京暮らしをしていた叔父は”よそ者”的に、
悪気もないであろうその家の子供たちの悪ふざけが
辛かったそうです。



『お母さんが迎えにきてくれない!』
『見捨てられた!』という思いが、



当時の少年に暗い影を落として、
言葉を失い、話せなくなってしまっていたそうです。。。
(その後、慌てて、祖母は何とか一緒に暮らせるようにしたそうですが・・・)


そして我が母はというと、、、、


山のふもとにある祖母の親戚が営む商店に。


その家には老夫婦が2人。


子供がいなかった2人は、
母をそれはそれは可愛がってくれたそうです。



叔父である兄とは正反対に、のびのび元気に育ったそうですが、



地元の学校では中々馴染めず。。。



でも1人『まっちゃん』という女の子が友達になってくれて。
今でも『まっちゃんは、私の恩人なのよ!』と話しています。


その後、南の島に出兵していた祖父が奇跡的に帰還。


病気にかかりながらも帰ってきましたが
浅草の寄席に通い、楽しい事が大好きだった祖父から
笑顔がなくなっていたそうです。


お酒を飲めば、戦友の話をして泣いていたそうです。


すっかり魂を抜き取られたような祖父と幼い子供たち。
なので祖母は、働いて、働いたそうです。


ある親戚の方が
『おきよさん(祖母)は、闇市ですごい交渉して持ってくる人だったよ』
と母に言っていたそうです。
 

本当に、生きていくことは厳しく、、、
祖母からも笑顔がなくなっていたそうです。



$☆ チズコの幸せの魔法 ☆


そんな話をしてくれる母も70代半ばになってきて、


自分の『戦争の記憶』が曖昧になってきたことがわかるらしく、


『なんで、もっと当時の話を聞かなかっただろう』と最近、そう言う様になりました。


その時お世話になった人たちもすでに亡くなっていたり、
年老いてきて、当時の話をできる人がだんだんといなくてなってきたからです。


そんな母の話を聞きながら、


私もそうです。


『なんで、もっと話を聞かなかったのだろう』と


今、ものすごく悲しいぐらいに後悔しています。



●海軍の大佐として、南の島へ出陣、お国のためにと散った大叔父の話。
 横須賀からそれはそれは素晴らしい出航だったと幼い母の記憶に
 残っているそうです。


●幸せな将来を信じて渡った満州。
 しかしそれは、悲しい結末となり、
 幼い息子を抱きしめて、
 丸刈りにして、男の格好で、壮絶な思いをして戻った、たま叔母さん。


●戦後、ソビエトの収容所に収監されていた、かず叔父さん。
 無事帰還し、仕事を探していたところ、
 人のすすめで、何もなかった福島県の大地を一から耕し、
 農家になった叔父さん。


●愛する人との結婚を許されず、自殺未遂をはかり、
 その後人生絶望の中、いとこである祖父と結婚し、
 東京へ。
 戦乱の中を、逃げぬき、
 戦後、再起を願い戻って見た、東京の焼け野原。
 本当に本当に何もかもなくなっていたそうです。
 泣きはらし、涙も出なくなったという祖母。
『あの戦争さえなければ』が口癖でした。


亡くなってしまったり、
また高齢になり、話ができなくなってしまったり。。。


こんな身近に、少し聞いただけでも、
こんなに壮絶な思いをして生き抜いた人たちがいたんです。


なのに私は、『そんなの遠い昔のこと』でしょって。


全く、聞く耳を持っていませんでした。



終戦から67年。


生き抜いた人たちの心の中には、


口にできないほどの苦しみ悲しみが、


まだまだたくさんつまっています。


簡単に『体験した方の話を聞く』なんて言えませんが、


でも出来る限り、教えてもらい、


次に繋ぎたいという強い気持ちで、いっぱいです。


$☆ チズコの幸せの魔法 ☆



『生きたかった』方々のことを思い、
心からご冥福をお祈り致します。