金英男さんの記者会見発言(要旨) | trycomp2のブログ

金英男さんの記者会見発言(要旨)

 金英男さんの記者会見の要旨は次の通り。

 ◇めぐみさんとの結婚

 86年初め、仕事上、特殊部署で出会い日本語を学んだ。(日本語が)仕事上、必要だった。しとやかな女性だった。めぐみに日本語を習いながら親しくなり、86年8月に結婚した。

 ◇めぐみさんの死

 結婚後、3年間は娘もでき、うまくいっていたが、病気の症状が現れた。結婚前から病的症状があったらしい。子どもの時に事故にあって脳を傷つけたことがあると聞いたこともある。徐々に健康管理が難しくなり、専門病院に送られたが治療がうまくいかず、死亡した。(自殺だったのかとの質問に)そう考えている。うつ病による精神的な現象だと医者は言っていた。症状が好転したと思ったが、医者はそんな時に自殺を図ることが多いという。数回も(自殺を)図り、結局、病院に行って自殺した。死亡の日付は94年4月13日だ。

 ◇めぐみさんの遺骨

 04年11月、平壌で日本代表団と会い、依頼を受けて遺骨を渡した。私から直接受け取ったことを日本の父母に伝え、公表しないという確認書も残っている。にもかかわらず遺骨をあちこちに分け、偽物だと拙劣で幼稚な主張をするのは、私とめぐみに対する侮辱、愚弄(ぐろう)であり、耐え難い人権蹂躙(じんけんじゅうりん)だ。

 ◇ヘギョンさんの生い立ちと名前

 元々、本名はウンギョンだ。幼名がヘギョンだった。めぐみの問題が起きる前には母親のことは話さなかった。その後、プライバシーが公開されてはよくないと思い、名前をヘギョンと変えた。ウンギョンはめぐみの娘であり自分の娘だ。(日本に行かせるかについては)日本当局がとっている態度を見る時、自分は娘を日本に送る考えはないし、本人も自ら行かないと話している。

 ◇北朝鮮入りの経緯

 皆さんの関心が高いことは知っている。78年8月5日ごろ、夏休みに仙遊島海水浴場に男女数人の友達と遊びに行った。帰る途中、先輩2人から「女子に貸した録音機を返してもらって来い」と言われた。従わないと先輩たちからひどい目にあうと思い、海の方で身を隠そうとした。都合よく小さな木船があり、隠れれば先輩に見つからないと思った。船を出すと、安心して寝てしまった。

 目を覚ますと、島も海水浴場の光も見えなくなっていて慌てた。死ぬのかと思ったら、船が1隻近づいてきた。服を脱いで助けを求めた。船に乗り移ると乗組員から事情を聴かれ「もう戻るのは難しいので我々の所に行こう」と言われた。

 後で分かったが、北(朝鮮)の船で、(着いたのは中西部の)南浦港だった。当時は怖くて心配だった。最初の数日は眠れず食欲もなかった。しかし次第に北の人々の親切さと私に対する特別な待遇に閉じていた心が開き、認識も変わった。

 特に北では無料で大学の勉強ができ、南に戻っても貧しいので、ここでしばらく勉強してから帰ればいいだろうと思い、いつのまにか28年の歳月がたった。

 ◇北での生活

 北に来て(朝鮮労働)党の胸に抱かれ、幸せに暮らしてきた。家庭も作って子どももできた。(娘の)ウンギョンは金日成総合大学で勉強し、(息子の)チョルボンは小学校に通っている。妻は党学校で勉強をしている。義父は平壌市人民委員会副委員長として事業をし、豊かに暮らしている。自分は特殊部門で働いている。統一部門の関連事業をしている。北では統一事業に関心が高く、「特殊部門」と呼んでいる。

 ◇名前

 韓国の特殊機関の人たちも対外的には別名を使っているのでは。日本との関係で、本名が知られて良いことより良くないことの方が多く、別の名前を言った。
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