拉致被害者帰国から3年、生存信じ待つ「死亡・不明者」家族 | trycomp2のブログ
北朝鮮による拉致被害者5人が帰国して15日で3年。北朝鮮が「死亡・不明」とした被害者の家族たちは、肉親の生存を信じて帰りを待ちわびる日々が続いている。鹿児島県吹上町(当時、現日置市)の海岸で1978年8月12日に拉致された市川修一さん(当時23歳)と増元るみ子さん(同24歳)の家族も、苦渋に満ちた3年間を送った。
「帰って来い。無事で一日も早く」
同県輝北町の市川修一さん宅の一日は、母トミさん(88)の祈りで始まる。トミさんの前には、拉致当日に撮影された修一さんの写真。その周りには義姉、竜子さん(59)が修一さんの帰国を願って集めているカエル(帰る)の置物約200個が並ぶ。
「今日もまた 祈る姿が痛ましい 愛しい我が子を一目見るその日迄」
竜子さんが、トミさんの小さな背中を見て詠んだ短歌だ。竜子さんは、看護師の仕事の合間を縫って全国の集会を駆け回った。
市川家には、「修一を思うと滝の涙を流すトミさんを刺激しない」という暗黙のルールがある。
この3年でその禁が一度だけ破られた。2003年10月20日、修一さんの49歳の誕生日。姉の孝子さん(56)がケーキを買って家族を集めてしまった。「余計なことをした」と腹を立てた兄、健一さん(60)をなだめたトミさんは、涙ぐみながら「修ちゃん、おめでとう」とろうそくを吹き消した。
健一さんは、蓮池薫さんら5人が羽田空港に降り立った3年前の日を、「喜びと悔しさが入り交じった涙をのんだ日」と振り返る。健一さんは、修一さんが初任給でトミさんに贈った大島つむぎの着物を取り出し、「母にこれを着せて必ず修一を迎えます」と語った。
増元るみ子さんの姉で熊本県八代市に住む平野フミ子さん(55)は、「進展がなく、振り回されただけの3年間だった」と深いため息をついた。
被害者の帰国後、平野さんは署名活動などで各地を飛び回った。ストレスと疲労で髪の毛がバッサリ抜けることもあった。
心の支えは、自宅のタンスにしまった、るみ子さんの成人式の写真と洋服だ。「妹に一日、一秒でも早く日本の地を踏ませたい」。何度も繰り返す「一秒でも早く」に切実さがにじんだ。
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