「母は必ず生きている」 加藤八重子さん長女 | trycomp2のブログ

「母は必ず生きている」 加藤八重子さん長女

 「優しくて、子煩悩だったお母さん。大好きだった」。その母親が28年前、忽然(こつぜん)と自宅から姿を消した。当時、11歳だった松岡尚美さん(39)=吉岡町下野田、事務員=は以来、母の温もりを探し続け、自らもいつしか2児の母となった。「母は必ず生きている。早く会いたい」。勇気を奮って21日、初めて署名募金活動に参加した。「加藤八重子の長女」と書かれたタスキをかけ、県庁前で娘とともに、北朝鮮による拉致被害者救出への支援を呼びかけた。(永岡栄治)

 電信電話局の電話交換手だった加藤八重子さん=当時(38)=は昭和53年9月22日夜から23日早朝にかけて、旧群馬町の自宅で就寝中に行方不明となった。国鉄職員の夫は夜勤で家を空けており、第1発見者は長女の松岡さんだった。

 「朝、母の布団に入るのが習慣だったので、朝5時45分ごろ起きて母の寝室に行くと、布団から引き抜かれたような形で、母だけがいなくなっていた」

 家中を探し、妹を起こして周りの畑も探したが見つからず、近くの祖父の家に駆け込んだ。「盗られたものは何もなく、当時の新聞には『神隠し』と書かれた。母は10月10日の結婚記念日に向けて、父にセーターを編んでいた。いなくなる理由は何もなかった」。警察は父を疑い、家の周りをすべて掘り返した。松岡さんは涙に明け暮れる日々を過ごした。

 その後、結婚し2児に恵まれた松岡さん。「子供を持ってみて初めて、子供と引き離された母の悲痛な気持ちが分かった」。3年前、高校受験が終わった長女(18)に初めて母のことを話すと、長女は涙を流しながら聞いてくれた。平成16年9月、松岡さんは特定失踪者として八重子さんの公開に踏み切った。

 昨年の収穫感謝祭に合わせて行われた署名募金活動には参加できなかった。だが今年は「娘である私が参加しないと、皆さんのご支援がいただけない」と、長女とともに参加を決意した。

 八重子さんは先月、66歳になった。「元気なうちに早く助けてあげたい」。母を思う娘の、切実な心の叫びを吐露した。

 救う会・群馬「群馬ボランティアの会」(大野トシ江代表)が21日に行った署名募金活動は、北朝鮮の核実験直後で関心も高く、署名1350人、募金20万2709円が集まった。22日も午前10時~午後3時、県庁県民広場で行われる。 

(10/22 01:21)
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