韓国外交文書公開 よど号事件、「金浦着陸は機長判断」 証言と食い違い | trycomp2のブログ

韓国外交文書公開 よど号事件、「金浦着陸は機長判断」 証言と食い違い

 【ソウル=久保田るり子】韓国政府は三十日、一九七五年度などの外交文書千二百六件(約十一万七千ページ)を公開した。日本関連では一九七〇年の日航機「よど号」ハイジャック事件が含まれている。これまで同事件をめぐっては、機長などの証言から、北朝鮮へ向かっていた「よど号」は、韓国側の誘導で金浦空港に着陸したとされてきたが、今回の公開文書では金浦着陸は機長の判断としており、真相はまさに「やぶの中」だ。

 公開された韓国空軍の「非常着陸」に関する報告書では、よど号は目的地である「平壌」を呼ばずに、「エニー・ステーション」と呼びかけ、航路をジグザグしながら時間を稼いで飛行した-などとして、「日航機の金浦着陸は、老練な石田真二機長の計画的、恣意(しい)的な着陸」と結論付けている。

 事件発生後、福岡を離陸した「よど号」について日本は、韓国に対し、「できれば韓国に着陸させたい」と通告していたことが、関係者の証言で明らかにされている。

 一方、同機の石田機長は、日本海上空を北上中、国籍不明の戦闘機に接近され、その後、韓国側管制官の誘導を受けたと述べている。

 今回公開された文書が、「よど号」に関する全文書かどうか、韓国側は明言していない。

 朴正煕大統領(当時)への報告書では、よど号は休戦ライン付近で北朝鮮側から五百発の対空砲火を受け、金浦に向かおうとしていた「よど号」に警告していたとしているが、日本側証言では「対空砲火の事実はなかった」(当時、在ソウル日本大使館駐在武官、塚本勝一氏)としている。

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 ■朴政権時代 対北で日韓蜜月

 「よど号」ハイジャック事件当時、朝鮮半島は南北対立で緊張状態にあった。そのため、“北の脅威”に備える意味で日韓は緊密な協力関係にあった。したがって北と軍事的に厳しく対峙(たいじ)し、北からの武装ゲリラ侵入やテロの脅威にさらされていた韓国は、「よど号」ハイジャックの極左テロ集団・赤軍派の平壌行き阻止に全力を挙げた。朝鮮半島では当時、重大事件が相次いでいた。一九六八年には北朝鮮の特殊部隊による韓国大統領官邸襲撃未遂、武装ゲリラ大量侵入、北朝鮮による米情報収集艦「プエブロ号」拿捕(だほ)、翌六九年には北朝鮮による米偵察機・EC121機撃墜事件、北朝鮮スパイによる大韓航空機ハイジャックなどが起きている。

 べトナム戦争が最も激しかった時期で、北朝鮮としては米軍の後方攪乱(かくらん)の意味もあって、朝鮮半島で武力挑発や韓国に対する破壊工作を盛んに展開した。韓国にとって、北朝鮮亡命を目指す共産主義の赤軍派は北朝鮮につながる敵対勢力であり、何としてもソウルで事件を解決したかった。そのため「早く平壌に行かせろ」といった日本の声には違和感が強かった。

 ソウルでの事件解決が失敗し、北朝鮮に行った赤軍派のメンバーたちはその後、北朝鮮で幽閉され、“金日成主義”に洗脳される。そして日本人拉致の工作活動に加わる。事件当時の韓国の懸念は、結果的には現実のものになったのだ。

 当時の日韓関係は、六五年の国交正常化によって本格的な協力体制に入っていた。朴正煕政権下の韓国は日本からの経済協力資金をもとに経済発展が軌道に乗りつつあった。事件のあった七〇年には日本の協力による国営・浦項製鉄や地下鉄一号線の起工式が行われ、ソウル・釜山高速道路が開通している。日本としては“北の脅威”にさらされる韓国の発展・安定を支援するため、朴政権への協力に力を注いでいた。したがって事件処理でも協力は比較的スムーズに進んだ。ただ日本国内では左派や進歩派勢力を中心に、まだ“社会主義幻想”があり北朝鮮への見方は甘かった。赤軍派を平壌に向かわせたのも、その“幻想”だった。(ソウル 黒田勝弘)

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【用語解説】よど号ハイジャック事件

 1970年3月31日、羽田発福岡行き日航機「よど号」を武装した赤軍派の9人が乗っ取り、乗客・乗員計129人を人質に取って北朝鮮行きを要求した日本初のハイジャック事件。韓国の金浦空港で、当時の山村新治郎運輸政務次官が乗客の身代わりに人質となった。国際手配された9人のうち田宮高麿幹部ら3人が死亡、2人が帰国して逮捕され、4人が北朝鮮に残っている。

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