2児拉致を「指令の女」、北朝鮮で工作機関幹部に
1973年12月に消息を絶った渡辺秀子さん(当時32歳)の子ども2人が拉致されたとされる事件で、この年の6月ごろ、北朝鮮工作員の拠点だった東京都内の貿易会社の役員の女(59)が、「朝鮮労働党の工作機関の幹部に取り立てられた」と周囲に話していたことが9日、分かった。
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この直前には、工作員のリーダー格だった渡辺さんの夫が突如、失跡していた。
この会社の設立者でもあった在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の第1副議長が失脚した時期とも一致し、警察当局は、総連内の権力闘争が渡辺さんの事件の背景にあるとみている。
警察当局の調べによると、この女が役員に名を連ねていた東京都品川区の「ユニバーストレイディング」(78年ごろ活動停止)は71年6月、朝鮮総連の実力者だった当時の第1副議長が設立した。
同社は、表向きは20人前後の社員が、中国相手に鉱石や羊毛、肥料などの輸出入を行っていたが、北朝鮮の工作員も社員として10人ほど在籍。渡辺さんの夫は、第1副議長の腹心で、工作員のリーダー的な役割を担っていた。
ところが、翌72年ごろ、第1副議長が朝鮮総連の権力闘争に敗れて本国に帰国し、渡辺さんの周辺は一変した。
渡辺さんと子どもは何者かに監視されるようになり、73年6月には、妻子に何も告げないまま夫が失跡。夫は第1副議長と同様、本国に召還されたとみられるが、その後の安否はわかっていない。
この当時の状況について、警察当局が複数の同社の関係者に事情を聞いた結果、最近になって、うち1人から役員の女に関する供述が得られた。供述によると、女は仲間の工作員に対し、「渡辺さんの夫が失跡した直後、工作船で北朝鮮に渡った」「自分が朝鮮労働党の工作機関の幹部になった」などと話し、さらに「これからは私の言うことを聞いてもらいます」と宣言していたという。
その後、この女が79年5月に出国するまでの動向について、「本国からの命令を仲間の工作員に伝える指示役だった」と証言する関係者もいる。
こうした背景から、渡辺さんは、夫が権力闘争に巻き込まれて工作組織のリーダーの立場を失ったという事情を知らないまま、行方を捜し回ったために監禁されて殺害され、2児も拉致されたとみられる。
警察当局は、本国の工作機関が、同社の存在だけでなく、こうした背景事情が発覚するのを恐れ、渡辺さんの夫に代わってリーダーになった女に、拉致などを指示した疑いが強いとみている。
(2007年4月10日3時2分 読売新聞)
2児拉致を「指令の女」、北朝鮮で工作機関幹部に : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)