◎寺越事件の3人「拉致の可能性」 政府初見解、真相究明へ 救う会石川が会見
一九六三(昭和三十八)年に日本海に出漁中、寺越昭二さん=当時(36)、志賀町出身=ら三人が行方不明となった寺越事件で、政府は六日、福田康夫首相名で同事件は「北朝鮮による拉致の可能性を排除できない事案に該当する」との見解を初めて示した。昭二さんが抵抗したため工作員に射殺されたとする元北朝鮮工作員の証言に関しても「可能性を含めて捜査、調査を行っている」とし、殺害の可能性も含めて捜査を推進する方針を明らかにした。
超党派の国会議員でつくる拉致議連幹事長の西村眞悟代議士が十月二十六日、河野洋平衆院議長に提出した質問主意書に対し、政府が答弁した。答弁書の送付を受けた救う会石川が六日、白山市内での会見で明らかにした。
答弁書は、寺越昭二さん、昭二さんの弟外雄さん、おいの武志さんの拉致認定に関する質問に回答。政府側は三人の消息について、親族からの説明で昭二さんと外雄さんは死亡し、「武志さんは北朝鮮で生存している可能性が高い」とした。
三氏を「保護、救出すべき日本国民と考えるか」との質問については「拉致の可能性を排除できない事案の真相究明に努めている」とし、事件の捜査、調査を推進する必要があると明記した。
このほか、寺越事件の真相究明と実行犯の引き渡しが「北朝鮮との国交正常化の条件か」とただす質問には「捜査、調査の段階で成果を慎重に見極める必要がある」と回答。拉致問題に関しては「北朝鮮に対し、すべての拉致被害者を直ちに帰国させるよう求めていくこととしている」と強調している。
救う会石川はこれまで政府に寺越事件の拉致認定を求めており、十月二十六日には拉致被害者家族会メンバーの一人として官邸で福田首相に面会した昭二さんの三男内田美津夫さん(54)=羽咋市=が早期解明を求めていた。
政府はこれまでに十七人を拉致被害者と認定している。救う会石川の大口英夫事務局長は「寺越事件は拉致事件の原点。拉致と断定されなかったことは残念だが、政府が拉致の可能性を指摘したことは大いに前進だ」と評価している。
救う会全国協議会の西岡力副会長は「政府が初めて昭二さんらの拉致と殺人の可能性を認めた。北朝鮮が主張する遭難救助などはあり得ない」とし、引き続き、早期の拉致認定を求めていくとしている。
昭二さんの長男昭男さん(57)=宝達志水町=は六日、「一歩前進した回答だ。正式に文書で示され、やはりうれしい」と話した。今後の政府への要望については「答弁書を精査してから一つ一つ質問を重ねたい」と拉致認定に期待を込めた。北朝鮮に対しては「父(昭二さん)と叔父(外雄さん)が死んだというのなら遺骨を返してほしい。殺したのなら謝罪してほしい」と不信感をあらわにした。
二男の北野政男さん(56)=志賀町=は同日、「国が今になって『可能性』を指摘するようでは対応が遅い。父のためにも早急に真相を解明してほしい」と話した。
寺越事件 1963年5月11日、寺越昭二さん=当時(36)=と弟の外雄さん=当時(24)=、おいの武志さん=当時(13)=が富来町(現志賀町)福浦港から漁船「清丸」でハチメ漁に出発、翌12日、破損して無人で漂流している清丸が見つかった。87年に外雄さんと武志さんが北朝鮮で生存していることが判明、同年8月に武志さんの母、友枝さんらが北朝鮮で再会した。外雄さんは94年に北朝鮮で死去。武志さんは2002年10月に一時帰国を果たした。武志さんは「遭難した所を助けられた。昭二さんは68年に病死した」と証言している。一方で、安明進元工作員が、呉求鎬(オグホ)工作員=当時=が拉致目的で上陸しようとした際、昭二さんらに見つかり、抵抗されたため拳銃で殺害したと証言している。昭二さんの遺族は殺人容疑などで呉元工作員を石川県警に告訴、県警が受理している。
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