「ウチの息子はめぐみさんの夫じゃなかった…」 | trycomp2のブログ

他の被害者家族は望み断たれ落胆
「北朝鮮にいる『キム・チョルジュン』が、拉致された兄ではないということを聞いた母は、何も言わずにただ涙を流しました。先日、『キム・チョルジュン』と横田めぐみさんの間で生まれたという娘の写真を見て、『目元がうちの家族と似ている』と、とても期待していたのに…」
日本人拉致被害者の横田めぐみさんの夫が、拉致された金英男(キム・ヨンナム)さんだったという事実が確認された12日、同じ時期に北朝鮮に拉致された息子を持つ 4人の「高校生拉致被害者」家族は、再び大きな失望を味わった。「息子」と「兄」に会えるかもしれないというかすかな希望がまた遠のいたからだ。
1978 年、天安商業高校3年生の時、紅島海水浴場にバカンスに行って行方がわからなくなったホン・ゴンピョさん。ホンさんの母親キム・スンレさん(76)と弟のグァンピョさん(39)は今年1月、日本人拉致被害者の横田めぐみさんの娘のDNA調査にため採血に協力した。
「母は『やっと息子を取り返すことができるのでは』との思いで一杯になっていました。これまで避けてきた兄に関する話題に触れるようになりました。キム・チョルジュンが拉致被害者なら、日本政府が連れてくることもできるのではないかと希望を膨らませました」
しかし、ホンさんの母親は、拉致被害者の金英男さんがめぐみさんの夫であることが確認されると、再び口を閉ざした。「兄が心配で居ても立ってもいられない毎日でした。母の一言が、北朝鮮にいる兄に被害を与えかねないと考え、再び兄のことを口にしなくなったのです」。
ゴンピョさんの行方が分らなくなってから28年間、残りの家族の人生はまるっきり変わってしまった。ソウルで会社を経営していたホンさんの父親は、息子がいなくなったことを知り、2年間忠清道と全羅道一帯をしらみ潰しに探した。比較的順調だった中小企業は経営破たんし、グァンピョさんの一番目の姉は高校を、2番目の姉は中学校への進学をあきらめた。
家族が集まった食事のときに、息子の話題が出るとキムさんはそれ以上何も口にすることが出来なくなった。食事すらままならない母は、全国の霊験あらたかだと噂された占い師を転々したあげく、結局寝込んでしまった。グァンピョさんは、「家族も次第に2番目の兄のことは口にしなくなった」と話した。
息子と兄、弟を失った他の拉致被害者の家族の人生も、大きく傷つけられたのは同じだった。家族らは今年1月、一縷の望みをかけて採血に参加したが、また元の絶望を味わった。
1977年平沢に位置するテグァン高校の2年生のとき、やはり紅島海水浴場にバカンスに行って行方不明になったイ・ミンギョさんの母キム・テオクさん(75)は、「今も寝るときは息子の顔が思い浮かぶ」とし、「死ぬ前に1度だけでいいから、会いたい…」と話した。イ・ミンギョさんの父は、息子がいなくなった後、息子を探しに全国を回ったが、脳卒中で倒れて結局1991年死亡した。
キムさんは、「1977年、息子がいなくなった後、大統領府などの政府機関に息子を探すことを訴える嘆願を提出するなど、あらゆる努力をした」と話した。キムさんは、「韓国政府でも、誰でもいいから、どうか息子の顔だけでも見させてください」と訴えた。
同じ高校2年生の同級生で、イ・ミンギョさんとともに紅島海水浴場に休暇に行って行方がわからなくなったチェ・スンミンさんの父チェ・ジュンファさん(77)は、「もう、体も心もくたびれた」と話した。チェさんは、「3番目の息子がいなくなったことで心を痛めた妻は、3年前に亡くなった」とし、「果たして私は息子の顔だけでも見ることができるだろうか…」と嘆いた。
天安農業高校3年生のときの1978年、紅島海水浴場に遊びに行って行方不明になったイ・ミョンウさんの家族は、徹底的に外部との接触を避けている。イ・ミョンウさんの両親はすでに死亡し、イ・ミョンウさんの1番目の兄が企業を経営しているが、弟の問題に触れること自体を避けていると知り合いたちは伝えた。
しかし、拉致被害者の家族は今、活動に追い込みをかけている。ホン・グァンピョさんは、「いずれにしても同じ拉致被害者の家族から、息子が北朝鮮に拉致されたことが確認された」とし、希望を抱いた。キム・テオクさんは、「これまで、見て見ぬふりをしてきた韓国政府が、今回を機に、積極的に取り組んでくれることを祈るばかり」と述べた。
朝鮮日報
朝鮮日報 Chosunilbo (Japanese Edition)
