拉致問題:金英男さん会見内容 不自然さも浮き彫り | trycomp2のブログ

拉致問題:金英男さん会見内容 不自然さも浮き彫り

 韓国人拉致被害者の金英男(キムヨンナム)さんは29日の記者会見で、拉致されたことを全面否定し、横田めぐみさんの消息に関しても従来の北朝鮮の主張を繰り返した。しかし、その内容を詳細に見ると、つじつま合わせとも取れる説明や不自然さも浮き彫りになる。【ソウル堀山明子、工藤哲】

 英男さんは会見で、78年8月、海水浴場で先輩2人に脅され、小舟の中に身を潜めていたところ、沖に流され、船に助けられた、と北朝鮮に渡った経緯を説明する。「船の上で眠ったらしい」「通りかかった船に救助された」との説明は、63年に日本海で襲われて拉致されたとみられる寺越武志さん(56)のケースを想像させる内容だ。

 現在、北朝鮮で暮らす寺越さんは13歳の時に叔父2人に連れられ、船で漁に出て行方不明になった。87年に叔父の1人=94年に病死=が手紙を日本の親類に送り、生存が判明したが、元工作員は「3人は拉致された。その際1人が射殺された」と証言。拉致の疑いが濃いケースだ。

 寺越さんは、母親に対して北朝鮮に渡った経緯を「寝ていて覚えていない」と説明。また、手紙で生存を知らせてきた叔父の話として、母親は著書の中で「漂流していたら、北朝鮮の船に救出された」と記している。

 英男さんについては、80年に韓国で拘束された北朝鮮の工作員が拉致したことを認めたと、97年になって国家安全企画部(当時)が発表した経緯がある。会見はそれを真っ向から否定するものだが、「疲れて寝てしまい、気づいたら船に救助された」との説明は不自然さが残る。

 また、77~78年には英男さんを含め5人の高校生が拉致されたが、会見では他の4人について「何も知らない」と言い切った。00年11月に初めて拉致被害者が離散家族再会事業に参加して以降、英男さんを含め13人の拉致被害者が家族と再会したが、拉致を認めた被害者はいない。

 英男さんの会見では、横田めぐみさんの消息に関して、「94年4月13日に自殺した」とする北朝鮮の従来の説明を繰り返すものだった。結婚の時期や経緯についても、「86年8月」で、「めぐみさんから日本語を教えてもらっていた」とし、北朝鮮の説明を踏襲した内容だ。

 02年9月の日朝首脳会談直後に訪朝した日本の調査団に、めぐみさんの夫とされる「キム・チョルジュン氏」が横田滋さん、早紀江さん夫妻にあてた手紙がある。キム氏が英男さんと同一人物とすれば、英男さんは手紙の中で、「1993年突然病気でめぐみさんを失うという不幸が襲ってくるとは……」などと記していた。

 実際、めぐみさんの消息について、北朝鮮は当初、「93年3月に自殺」と説明。しかし、蓮池薫さんらが「94年に見た」と証言していることを毎日新聞が報じると、04年11月の日朝実務者協議では「94年4月に自殺」と変えた経緯がある。手紙の記述や今回の会見は、北朝鮮の説明の変遷ぶりも反映しており、英男さんが北朝鮮側の主張を代弁するだけの状況に置かれていることを表していると言えそうだ。

毎日新聞 2006年6月29日 21時28分 (最終更新時間 6月29日 21時54分)
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