北朝鮮の表記めぐり、70年代に韓日が神経戦 | trycomp2のブログ

北朝鮮の表記めぐり、70年代に韓日が神経戦

【ソウル5日聯合】北朝鮮と競うように体制構築を進めていた1970年代初め、韓日間で北朝鮮の「国号」をめぐる微妙な神経戦が繰り広げられた事実が、5日に外交通商部が公開した外交文書から明らかになった。

 68年に北朝鮮特殊部隊による青瓦台(韓国大統領府)襲撃事件が起きるなど、当時は60年代からの北朝鮮による局地的武力挑発が続いている状況で、国内はもちろん韓日外交文書でも北朝鮮に対し「北傀」という名称が使われていた。

 韓日間の問題の発端は、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の訪朝が実現した1971年初め、日本がパスポート発行の際に北朝鮮の国号を「DPRK(朝鮮民主主義人民共和国)」と表記したことだった。外務部(現・外交通商部)は1971年3月31日付けの報告資料の中で、「最近日本が、パスポートの目的地に北傀地域をDPRKと記載した問題で、日本側に厳重に抗議するとともに是正を強く求めた」と明らかにしている。

 日本はこれに対し、「北傀の承認や、北朝鮮に対する日本政府の姿勢の変化を意味するものではない」とした。その上で韓国政府へ、「政治的にも法的にも、北傀地域との人的・物的交流を全面的に制限することはできないことを理解してほしい」と呼びかけた。外務省の須之部量三アジア局長は駐日韓国大使館の姜永奎(カン・ヨンギュ)公使に対し、「旅券法改定に伴い、単純な地理的用語としての使用を決定したもの。純粋に技術的・実際的な考慮からだ」と説明した。

 この後、韓国側の呼称問題に対する姿勢は、北朝鮮が1972年札幌冬季オリンピックへの参加を表明したことから微妙な変化を見せている。姜公使は1971年8月25日に須之部局長と会談し、「北傀の呼称は国際オリンピック委員会(IOC)の決定で『DPRK』とすることになっている。開催地の日本が、いわゆる正式名称を採用すれば、IOCの決定に反するだけでなく、重大な問題を引き起こす」と警告した。IOCの決定に従い北朝鮮を「DPRK」と表記すべきで、「朝鮮民主主義人民共和国」という正式名称を日本語で表記しないよう求めたものと取れる。須之部局長はその場では受け入れたが、9月17日の会談では「ほかの参加国の国名は日本人が使用する名称で表記するのに対し、DPRKだけがそのままなのは不自然」として、やや否定的な姿勢を示した。

 「北傀」という呼称は、1994年に金泳三(キム・ヨンサム)大統領と北朝鮮の金日成(キム・イルソン)総書記が首脳会談で合意した後は使用が自制されてきた。2000年の金大中(キム・デジュン)大統領と金正日(キム・ジョンイル)総書記との南北首脳会談以降、南北和平・交流の雰囲気の中で姿を消した。

 韓国と北朝鮮に対する日本の外交姿勢については、1973年の金大中事件をきっかけに「等距離外交」との批判も起きた。1974年9月にワシントンで金大中事件などを議論するための日米会議が予定されていたが、これに先立ち日本の自民党議員らが韓国と北朝鮮の同時訪問を進めた。駐日韓国大使館側は同年8月、韓国訪問を要請した石井一衆議院議員に対し、「宇都宮議員の平壌訪問と石井議員のソウル訪問は、韓国と北傀の等距離外交の試みと認識される」とし訪韓を拒否した。宇都宮議員は8月に訪朝し金日成総書記と会談したが、石井議員の訪韓は結局実現しなかった。

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