“拉致濃厚”失踪者と北のアナは別人の可能性 | trycomp2のブログ

“拉致濃厚”失踪者と北のアナは別人の可能性

東京生まれの在日朝鮮人?!

矢倉富康  1988年、鳥取沖で失踪(しっそう)した鳥取県米子市の漁業、矢倉富康さん、失跡当時(36、写真)=に酷似した人物が、朝鮮中央放送委員会のアナウンサーとして勤務している問題で、両者は別人の可能性が高いことが15日、関係者の話で分かった。一部民間団体が専門家の音声、写真鑑定で「同一人物の可能性が極めて高い」と発表。日本政府も独自に写真鑑定に乗り出していたが、アナは東京生まれの在日朝鮮人の可能性が高いという。

 矢倉さんと酷似しているとされるのは、日本語放送「朝鮮の声放送」アナウンサーの慎範(シンボム)氏。今年3月中旬、平壌を訪れた日本人旅行者が高麗ホテルで接見し、写真を撮影した。写真は失踪前の矢倉さんと似ていたため、矢倉さん本人ではないかという見方が強まった。

 だが、関係者によると慎範氏は東京生まれの在日朝鮮人で、朝鮮大学校を卒業。72年に帰国船で北朝鮮に入り、矢倉さんとはまったく別人だという。慎範氏は2000年下半期に「朝鮮の声放送」でアナウンサーとしてデビュー。流暢(りゅうちょう)な日本語を話すことで知られている。だが、矢倉さんの出身地、米子は標準語へ矯正しにくい「出雲弁」を話す地域だが、慎範氏にはこの独特なイントネーションは確認されていない。この関係者によると、写真は鮮明でない上、別の角度で写った慎範氏は矢倉さんに酷似しているとは言えないという。

 ある朝鮮研究者は「矢倉さんに似ているという報道があった後も慎範氏は出演している。北朝鮮側は後ろめたいことがあれば、必ず“否定”する材料を出してくるはず。そもそも拉致被害者をアナウンサーにするのか」と疑問を呈している。

 矢倉さんは88年8月2日夕方、1人で漁に出た。翌朝戻る予定だったが消息を絶ち、8日後に竹島沖南南東25キロで漁船だけが発見された。船には衝突痕が残されていた。矢倉さんはかつて精密機械のエンジニアだった職歴があり、東欧や韓国に出張した経験もあった。このため、北が事前に目を付けていた可能性も指摘されていた。

 よく似たケースとしては63年5月、能登半島沖へ漁に出た寺越武志さん(57)が行方不明となり漁船だけが発見された。24年後の87年1月に生存が判明。寺越さんは「北朝鮮の漁船に助けられた」と説明し、現在も平壌で暮らしている。

ZAKZAK 2007/09/18

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