米朝協議、アメリカの思惑はずれた格好
先月ドイツのベルリンで行われた米朝協議をきっかけに北朝鮮の核問題は動き出すかに見えました。しかし、フタをあけてみると、アメリカの思惑は完全に外れた格好となってしまいました。
1月17日、ベルリン市内の中華料理店で笑顔で酒を酌み交わすヒル国務次官補とキム・ゲグゥアン外務次官。その1カ月前には想像すらできなかった光景でした。
「私はここに金融問題ではなく、核放棄の話をしに来たのです」(ヒル国務次官補 2006年12月)
去年12月、およそ1年ぶりに再開した6か国協議で、北朝鮮はアメリカによる金融制裁解除を求め、核放棄の話し合いには一切応じませんでした。
それが急展開したのは2007年1月のベルリンでの会合、6か国協議に近い筋によると、ヒル国務次官補はこの場で、次の6か国協議で核放棄に向けて動き出すことに合意すれば、30日以内に金融制裁を解除すると約束したといいます。
表向きは、核と金融制裁は別問題だと主張してきたアメリカにとっては最大限譲歩した“密約”でした。
「アメリカと懸案事項について(話した)。(Q.どうですか?)はい、うまくいっています」(キム・ゲグゥアン外務次官)
そして始まった今回の協議、初日、北朝鮮は早速、核放棄に向けた初期段階の対応を取る姿勢を見せました。
「私はあまり期待をしない方ですが、きょうの協議は期待どおりでした」(ヒル国務次官補 2月8日)
協議2日目。北京市内の高級ホテルで米朝の代表は昼食を共にしました。
「全体の協議の中で一連の問題について意見が一致したものもありますし、すれ違いも合ったので、今後、努力したいと話しています」(キム・ゲグゥアン外務次官 2月9日)
しかし、この時すでに雲行きは変わっていました。北朝鮮が核放棄の見返りとして電力200万キロワット、重油・年間200万トンという桁外れのエネルギー支援を要求してきたのです。ヒル国務次官補にとっては完全な“誤算”でした。
「北朝鮮は小さなことにこだわるが、彼らにとっては重要なことだろう」(ヒル国務次官補 9日夜)
かつて同じような状況がありました。1994年の“北朝鮮核危機”。カーター元大統領が訪朝するなど交渉の末、いわゆる“枠組み合意”が出来ました。北朝鮮が核開発計画をやめるかわりに、軽水炉型原発2基を供与し、アメリカが中心となってその間のエネルギー補償として50万トンの重油を供給するという内容でした。
しかし、2002年10月、北朝鮮のウラン濃縮計画が発覚。2003年1月にはNPT(核拡散防止条約)体制からの脱退を表明します。2003年11月、“枠組み合意”の軽水炉建設が中断され、2005年2月、北朝鮮は”核兵器保有”を宣言しました。
こうした状況の中、同じ轍だけは踏みたくないブッシュ政権にとって北朝鮮が協議の場に持ち出してきた要求は桁違いなだけではなく、屈辱的な数字だったに違いありません。
6か国協議の枠組みにこだわり続けてきたブッシュ政権。その選択は正しかったのか、答えは北朝鮮の決断にかかっています。(12日23:08)
TBS。
ニュース23での報道のよう・・
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