記者の目:漂着の脱北家族を目撃した深浦港住民 喜浦遊
北朝鮮を脱出した家族4人が先月2日、小型船で青森県深浦町の深浦港に漂着してから、1カ月が過ぎた。私は4人が茨城県の入管関連施設に移されるまでの5日間、港周辺で取材したが、再び現地を訪れてみて、今も戸惑いが大きいことを知った。4人が成田空港から韓国に飛び立つまでの2週間で、彼らの素顔に触れた民間人は漂着を目撃した深浦港の人だけだった。住民が垣間見た彼らの姿は、近くて遠い国そのものだったように思う。
最初に4人と接触したのは、住民や釣り客だった。県警は深浦港から約9キロ離れた風合瀬(かそせ)漁港で小型船を目撃した釣り人の110番通報を受け、船の捜索を地元の深浦漁協に要請した。漁船1隻が船を発見して深浦港まで誘導したが、漁船に乗っていたのは漁協理事と組合員だった。漁協幹部は「要請を受け、困ったことになったと思った。組合員に危険が及ぶかもしれないと心配した」と振り返る。
一方で、港で4人の姿を目撃した住民の大半は「脱北者とは思わなかった」と口をそろえた。港近くの釣具店経営の男性(56)は、「目立たない色だったが、服装はきちんとしていた。女性は長い髪を後ろで束ね、男性は角刈りっぽく整えられていた」と話す。偶然、寄港していた秋田県のイカ釣り漁師(50)は後で、「服もちゃんとしていたし、靴も履いていた。困窮して逃げてきたという感じではなかった」と印象を語った。
もちろん、「いかにも難民という様子で疲れていた。かわいそうだった」と話す主婦(46)もいたし、その後、4人が県警の捜査員に「北朝鮮ではパンを1個食べられるかどうかだった」と話した内容を報道で知って同情する声もある。
だが、地元では余りに情報が少なかった。県警五所川原署での事情聴取は県警外事課が担当したが、県警幹部は記者会見で「県警の裁量では何も言えない」と繰り返した。後日、ある捜査員は「すべてが中央からの上意下達で行われた。こちらの意思など関係なかった」とため息をついた。
漂着当日、深浦町役場への県警からの連絡は、港近くの交番から船を上げた場所の地番についての問い合わせの電話1本だけだった。町は青森海上保安部と県に情報提供を求めたが、最後まで返事はなかった。そもそもこの日、県が入手できた情報は、保護から約6時間後に県警が報道陣向けに出した広報文だけだったのだ。町職員は町民から殺到する問い合わせに、「うわさ」の範囲内で応対するしかなかった。
今回の脱北騒ぎを受けて、福井県は不審船発見時の対応マニュアルを作ることを決めた。篠田昭・新潟市長も「発見した市民が直接対応すると不測の事態も考えられる。緊急マニュアルの策定が必要」と述べた。だが、深浦町総務課は「国などもっと大きな組織で連絡体制を整えなければ、町や県でどうこうできる問題ではない。今回の経験からマニュアルを作っても、町には情報が入らないだろう」としており、青森県ではそうした動きはない。
騒動に巻き込まれながら情報の外に置かれた漁港では今、不安が広がっている。港近くに住む自営業の男性(53)は当初、「いかにも難民という感じでかわいそう」と話していたが、「冷静に考えればあんなに古くて小さな船で来たというのは、誰でも日本に来られるということ。工作員が来ることを思うと、ぞっとする」と語る。
当初は「北朝鮮で大変な思いをしてきたんだろう」と同情していた漁師(79)も、「4人はすぐに韓国に行った。北朝鮮の人は『深浦に来れば食事ももらえて、韓国に行ける』と思わないだろうか。漁に出る時は、まなこを広げて周りを見ている」と不安そうだ。
4人は韓国に向かうため、16日午前2時20分ごろ、入管施設をマイクロバスで出発し、成田空港ではビニールシートで覆われたタラップを上って機内に入った。ついに肉声を聞くことはできず、外からは表情をうかがうことすらできなかった。
4人はなぜ、小型船で日本を目指したのか。青森にたどり着いた時、何を思ったのか。私は彼らの口から直接、事実を聞きたかった。少なくとも、日本政府には深浦港の住民が不安を抱かないだけの最低限の情報を示してほしかった。
私たちは今回、脱北家族の漂着というかたちで、ベールに包まれてきた北朝鮮の実態にわずかだが触れたのだと思う。核廃棄に向けた6カ国協議など、北朝鮮を巡る国際情勢は複雑だが、もしかしたら住民レベルで北朝鮮との関係を考えるいい機会だったのかもしれない。そう考えると、残念でならない。(青森支局)
毎日新聞 2007年7月5日 0時02分
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