北朝鮮のウィーン・コネクション(1) | trycomp2のブログ

駐オーストリア兼国際機関担当北朝鮮大使 金光燮氏
苛立ち募る「総書記の義弟」
政治亡命事件で責任追及の観測
北朝鮮最高指導者・金正日労働党総書記は、欧州では「スイスが好き」といわれているが、映画や芸術を好む金総書記は、隣国オーストリアの首都ウィーンをこよなく愛し、その音楽や文化に熱い憧憬(しょうけい)を持っていることはあまり知られていない。ウィーン音楽学校にエリート学生を留学させて、西欧音楽を吸収させる一方、「喜び組」の若い女性たちをウィーンの高級ダンス学校に送ってワルツを学ばせ、西欧史に大きな足跡を残したハプスブルク王朝時代の建築を学ぶためにウィーン大建築科に学生を派遣する、といった具合だ。最近では、ウィーン産の赤ワインに目がないともいわれている。
北朝鮮とウィーンの結び付きはそれだけではない。ウィーンは、大韓航空機爆破事件(一九八七年)の北朝鮮工作員が爆発物を受け取った場所であり、欧州唯一の北朝鮮直営銀行「ゴールデン・スターバンク」があった都市でもある。中東諸国へのミサイル輸出、不法資金の洗浄(マネーロンダリング)、米紙幣の偽造、麻薬取引など、冷戦時代に旧ソ連・東欧の窓口だったウィーンは、「東西の三八度線」として北朝鮮の工作拠点の役割をも果たしてきた。そこで、ウィーンを愛した北朝鮮の面々を紹介しながら、ウィーンで繰り広げられた北朝鮮の「光と影」を追った。
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金光燮・駐オーストリア兼国際機関担当北朝鮮大使は、金正日総書記の義弟とみられるのをことのほか嫌う。大使がオーストリア商工会議所で羅津・先鋒自由経済貿易地帯の説明会に参加した時だ。商工会議所主催者が面と向かって、「大使は金総書記の義弟に当たると聞きますが」と質問したことがある。その時、大使は「それは間違いだ」と堂々と答えたという。もちろん、それはうそだ。しかし、金大使はその後も、このうそを何度もついてきた。
金大使の敬淑夫人は、故金日成主席と金聖愛夫人との間に生まれた。故金日成主席と故金正淑夫人から生まれた金総書記を正統派とすれば、金大使の家庭は否応なく「傍系」に属することになる。その点、金平日・駐ポーランド大使(敬淑夫人の実兄)とよく似ている。望んでもいなかった骨肉の争いの舞台から引き下がれなくなった苛(いら)立ちが、大使の中にくすぶり続けているのかもしれない。
オーストリアに赴任したのは一九九三年三月だ。既に十三年が経過した。その間に駐ハンガリー大使も兼任した。ジュネーブ駐在の李哲大使に次ぐ長期任期を誇る北朝鮮大使だ。
金大使への評価は悪くなかった。北朝鮮は、二〇〇〇年一月にイタリアと国交を樹立したのを皮切りに、欧州連合(EU)諸国と次々と外交関係を結んでいったが、「金大使がEU本部のブリュッセルへ栄転するのではないか」といったうわさが流れたこともあった。
しかし、大使はもともと、外交官らしい外交官であったわけではない。就任直後、オーストリア外務省を訪れ、「金日成主席が発表した『祖国統一のための全民族的大団結綱領』を公表してもらえないか」と要請したが、一蹴(いっしゅう)され、その非現実的外交を冷笑された苦い体験もしている。
金大使はウィーンで西側の外交を学んでいったのだろう。金大使を知る西側外交官は今では、「金日成主席が娘の婿に選んだだけのことはある」として、金大使の外交能力を一様に評価している。
金大使はここ数年間、心臓病を患っている。ウィーンで治療を受ける一方、毎年夏、休暇を兼ねて、二カ月間ほど平壌に帰国して治療を受けている。同じ傍系の金平日大使がほとんど帰国できないのとは対照的だ。
ところが三月に入り、ハンガリーの北朝鮮国営企業の責任者が、家族とともに韓国に政治亡命するという事件が明るみに出た。西側外交関係者は、「ハンガリーを管轄してきた金駐オーストリア大使の責任が追及されるだろう」と予想している。
しかし、金大使は「平壌からは何の指令も受け取っていない」と主張、解任説を一蹴した。にもかかわらず、「大使が今夏に治療に帰国すれば、ウィーンに帰任できなくなるのではないか」といった観測が、外交筋で根強く流れている。
(ウィーン・小川 敏)

