小泉訪朝から5年、今も帰らぬ12人…新たな情報得られず
小泉首相(当時)が訪朝し、初めての日朝首脳会談が開かれた2002年9月17日から、間もなく5年。北朝鮮が拉致を認め、政府認定の拉致被害者5人とその家族が帰国を果たす一方、安否不明とされている12人の被害者について新たな情報は得られていない。
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拉致問題の解決に力を入れてきた安倍首相の退陣で動揺が広がる中、高齢化が進む被害者家族は切実に、「一日も早くこの胸に我が子を抱きたい」と訴えている。
鹿児島県鹿屋(かのや)市=旧輝北(きほく)町=の山あいの集落に立つ「スーパー市川」。1978年8月に拉致された市川修一さん(当時23歳)の母、トミさん(90)は、毎日午前と午後の計3時間、店番としてレジの前に座り、息子の帰りを待ち続けてきた。
「目撃情報もあったし、なんとかなると思っていただけに、悲しみが大きかった。この5年は長かったです」。身長1メートル38、体重38キロのトミさんは、「9・17」を思い出し、ハンカチで涙をぬぐった。あの日、夫の平さん(92)と一緒に、食い入るように見つめたテレビから流れたのは、北朝鮮が修一さんら8人を「死亡」と発表したというニュースだった。
修一さんが生まれた1954年、トミさんと平さんは、衣料品を売る「市川商店」を開業した。生鮮食品も扱う「スーパー市川」として改装オープンしたのは78年7月。鹿児島市の電電公社(当時)に勤務していた修一さんも休みをとって、レジ係として3日間店に立った。その12日後、修一さんは鹿児島県の吹上浜で、増元るみ子さん(当時24歳)とともに拉致された。
トミさんが向かうレジカウンターは、修一さんが手伝ってくれた当時のままだ。ただ、2年前から、平さんは足の痛みで、店の仕事ができなくなった。トミさんも足が弱り、隣接する自宅から店への移動に、1分もかかるようになった。
拉致問題への関心が高まったせいか、スーパーに見知らぬ人が訪れ、「おばあちゃん、頑張って」と声をかけてくれることもある。
この5年間、修一さんの安否情報に変化はないが、トミさんは「みんなの親切に応えたい。健康に気をつけて、修一が帰ってくるまで元気でいたい」と言う。
自宅の居間には、「修ちゃん、カエル」と名付けたカエルの置物が並んでいる。修一さんの兄で、同居している健一さん(62)の妻、龍子さん(61)が、トミさんらを励まそうと各地で買い集めたものだ。5年間で置物は約250個に増え、修一さんの帰りを待っている。
◆被害者の親 平均80・7歳◆
拉致被害者の家族会では、被害者の親の高齢化が進む。この5年間で、増元るみ子さんの父、正一さんや蓮池祐木子さん(51)の母、奥土シズエさん、曽我ひとみさん(48)の父、茂さんが亡くなった。
家族会結成時、最年少の父親だった、横田めぐみさん(当時13歳)の父、滋さんも74歳。拉致被害者の親の平均年齢は80・7歳となっている。
(2007年9月15日14時33分 読売新聞)
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