拉致被害者救出に向け戦い続ける横田さん夫妻(下) | trycomp2のブログ
日本政府を動かした拉致被害者家族連絡会
安明進(アン・ミョンジン)氏にめぐみさんの消息を聞いた横田さん夫妻は「できるだけ早く娘を救い出す」と決心した。1997年3月‘北朝鮮による拉致被害者家族連絡会’が発足、滋さんが会長に就任した。夫妻はマイクを握って全国を回りながら署名運動をする、拉致問題の象徴的な存在になり、短期間に50 万人の署名が集まった。時間が経つにつれ、めぐみさんが、大韓航空機爆破犯の金賢姫(キム・ヒョンヒ)元死刑囚に日本語を教えたといわれる田口八重子さんとしばらく一緒に生活していた、という証言が次々と飛び出し、めぐみさんは日朝関係のキーワードになっていった。無関心だった日本政府も動き始めた。
小泉首相が訪朝した2002年9月17日、娘の死を告げられた。
「いつか人は死にます。めぐみは本当に強烈な足跡を残すのではないかと思っています。みなさんとともに一生懸命戦っていきます」
記者会見の場で早紀江さんは「負けてはいけない」という思いから涙をこらえた。夫妻は娘の失踪後3回引っ越したが、ほどけない荷が1つある。ペンでめぐみさんの「め」という文字が書かれた箱だ。そこには娘のパジャマや教科書、好きだった漫画『ベルサイユの薔薇』などが詰まっている。早紀江さんは「娘が帰ってきたらこんなに大切に保管してきたんだと見せてやりたい」と語った。
最近、早紀江さんは知人の誘いで聖書を読むようになり、再び自分を取り戻した。ヨブ記にある「主は与れ、主は奪う」(全ては神の意思によって行われているという意味)という聖句が心にしみたという。「大事に育ててきた子供をたった1人のために拉致するということは、国を離れて人間としてあってはならないと言いたいのです。私の娘を奪ったその人は本当に憎いが、北朝鮮の一般の人々は純粋だと思うので救いたいです」。早紀江さんは毎週日曜日に教会で娘と北朝鮮住民のために祈っている。
東京=鄭権鉉(チョン・グォンヒョン)特派員
朝鮮日報
朝鮮日報 Chosunilbo (Japanese Edition)
