めぐみさん拉致事件の現場を訪ねて | trycomp2のブログ

めぐみさん拉致事件の現場を訪ねて

6日午前9時。吹雪の日本海(東海)からわずか800メートル余りの通りの新潟県新潟市寄居中学校。

1977年11月15日、この学校の1年生だった横田めぐみさん(当時13歳、写真)が北朝鮮工作員に拉致されてから正確に30年だ。体育館でバドミントンの練習を終えためぐみさんは午後6時30分ごろ、下校時に拉致された。新潟市内の繁華街である古町から1キロほどしか離れていない所だ。

直接めぐみさんが歩いた動線そのまま進んでみたが、死角地帯や人通りのないところもない。こんな所でどうやって拉致されたのか信じられないほどだ。それにめぐみさんの学校までは650メートルにすぎなかった。友達2人と一緒に学校を出ためぐみさんが友達と別れて1人で家まで歩かなければならなかった距離は400メートル。歩道の幅は1メートルほどで、道の左側には新潟短大と住宅街が並ぶ平凡な通りである。ある住民は「当時と通りはほとんど変わっていない」と話す。めぐみさんは家に入る角近くで消えた。目撃者はいない。

事件発生から30年が経ったが、横田さんの両親や日本の捜査当局は誰もあきらめていない。当時横田さんが住んていた家には別の人が入っているが、めぐみさんの親はめぐみさんが帰って来るのではないかと心配で、引っ越し先の住所を残しておいた。

めぐみさんが拉致されたと推定される所で、日本海の海岸までは歩いて2分ほどの距離。捜査当局はこの道路周辺の看板に「情報提供願う」という大きな立て札とともに「昭和52年11月15日、この近所で拉致された横田さんと関連する情報なら何でもいいから伝えてください」という掲示板を立てておいた。新潟県警察本部には横田めぐみ拉致事件に取り組む担当捜査要員がいまだに50人以上にもなる。

30年前にもこの事件を担当したという小幡政行新潟県警察本部外事課長は「歳月が経ち、一般人は忘れるかもしれないが、拉致国民を探してくることは日本政府の義務」と話した。新潟県庁で会った丸田浩拉致問題調整室長は「横田さんを含む拉致被害者たちの送還を促す県単位の集会を開催するなど最後まで争っていく」と強調した。

拉致担当首相補佐官の中山恭子氏も「北朝鮮は拉致された人々の情報をすべて把握しているので、共同調査委員会設置などの策は必要ない。日本から連行された被害者たちが全員帰って来てこの問題は解決する」と強い執念を見せた。このために日本政府は10~16日を「北朝鮮人権侵害問題啓発期間」と定め、大々的な対外広報活動に出た。拉致現場取材を中央日報とワシントンポスト、AFPなどで扱うことも国際社会に拉致問題の深刻性を広く知らせるための措置の一環だ。

しかし、民間専門家たちの間では他の意見も出ている。北朝鮮で精神病棟に入院した横田さんが生きている可能性は低いという指摘も最近持ち上がっている。小此木政夫慶応大学教授は「日本の国民は北朝鮮に対して経済制裁などの圧力だけではだめだということが分かるようになった。まず北朝鮮と交渉し、解決策を探す政策に切り替えるほうが望ましい場合がある」としている。

新潟・東京=金玄基(キム・ヒョンギ)特派員


2007.12.10 12:42:22

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