【単独インタビュー】金英男さん拉致した金光賢氏 | trycomp2のブログ
「本当に申し訳ありません。しかし、私が工作し、拉致したのではありません。私は船で任務についていましたし、拉致は工作組の仕事でしたから。私は金英男(キム・ヨンナム)さんの顔も知りません。それでも結果的には金英男さんの拉致を手伝ったわけで、子を失ったご両親には本当に申し訳ない思いです」
1978年、群山機械高校1年生だった金英男さんを群山仙遊島海水浴場で拉致したとされる金光賢(キム・グァンヒョン)さんが口を割った。
14日午前7時10分頃、ソウル市広津区のAマンション。玄関にはさっぱりした紺の背広姿に黄色いネクタイをした老紳士が立っていた。
1970~1980年にかけ西海岸で拉北工作船(韓国人を拉致するための工作船)に乗って西海岸を何十回となく行き来した金光賢さんだ。
1908年6月逮捕された金光賢氏
スパイとして捕まった当時はふさふさだった髪の毛も、大韓民国の国民として生活した26年間ですっかり薄くなってしまった。薄くなった髪の毛には白髪さえ目立つ。額や目頭には深いしわが寄っていた。
1980年6月、スパイ船でやって来たところを捕まえられた金光賢さんは、現在ソウル市広津区のあるマンションで暮らしている。
韓国に定住した金光賢さんは1988年から1998年までサラリーマン生活をし、今は自営業を営んでいる。大卒の妻と大学に通う23歳の息子がいる。
記者に初めて会った時、金光賢さんは写真撮影を強く拒みながら、終始知らないとだけ言い続けた。しかし、「拉致された金英男さんの母親チェ・ゲウォルさんが息子に会いたくて涙しているのは知っているか」と聞くと、重い口を開き始めた。
「私も子を持つ親の立場として、もし私が金英男さんの母親だったら、子どもの生死が気にならないと思いますか。私も手助けして差し上げたいのは山々です。しかし、金英男さんが生きているのか、死んでいるのかさえもわかりません。北のどこで住んでいるのかもわかりません。私にわかることがあれば、すべて教えて差し上げるつもりです。しかし、私もすでに大韓民国の国民になり、これ以上は何もわかりません。どうか疑わないで下さい」
金光賢さんはスパイとして生活した当時のことを思い出したがらなかった。金さんは「30年も経った過去のことをなぜしきりに暴こうとするのか。私の記憶もすでに薄らいできている。どうか私をそっとしといてほしい」と話した。
また、今は糖尿病で毎晩治療を受けているため健康ではないと述べた。
金光賢さんは30年前スパイ船に乗った当時のことを鮮明に覚えていた。金さんは北朝鮮のスパイを韓国に侵入させたり、工作員を北朝鮮に復帰させたりする「301 海上連絡所」で勤務していた。
韓国の情報当局は、金さんが船長だったとみているが、金さんは1966年から1980年まではスパイ船の甲板での仕事だけを担当していたと証言した。
「韓国人を拉致してくるよう指示が下されれば、工作船が出発する。スパイ要員たちはこれに乗り、韓国の公海上で小型船に乗り換え、推進機を利用して海岸線に接近した。私は甲板で仕事をしていたため、誰が何人拉致されたのかはわからない」
金さんは最後まで金英男さんをみなかったと言った。同じ時期、西海岸一帯で高校生4人が相次いで拉致された事件についても知らないと答えた。
しかし、日本政府は今月13日、「金光堅さんを直接調査すれば、事件解決の糸口がみつかるはず」と発表している。日本政府は、金さんの証言が北朝鮮に拉致されて以降、金英男さんと結婚した日本人横田めぐみさんの行方を把握するのに決定的なカギとなるものと期待している。
金さんは地下鉄の切符売り場に着くと、住民登録証を差し出し、白の老人優待証を受け取った。「見て下さい。私ももう大韓民国の国民です。金英男さんのお母さんが一刻も早く息子さんに会えるよう祈ってます」
チョン・ヒョンソク記者 winwin@chosun.com
朝鮮日報
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