【人語り】元東京入国管理局長・坂中英徳(62) 在日のタブーに挑戦
35年間の役人人生は「アンタッチャブル」とともにあった。「アンタッチャブル」は、アメリカ禁酒法時代のシカゴの顔役、アル・カポネを脱税容疑で追い込んだ財務省捜査官、エリオット・ネスらを描いた物語。坂中もまた入管行政のなかで、タブーに挑み続けてきた。
罵倒(ばとう)されたこともあった。脅されたこともあった。それでも「好き放題やった幸せな役人人生だった」と満足している。平成17年3月、退官のあいさつに赴いた先で当時の松尾邦弘検事総長から、「坂中さんの歴史は入管の歴史そのものだ」とねぎらわれたという。
だが、戦いは今も続いている。その原点は、法務省入省翌年、大阪入国管理事務所(現・大阪入国管理局)で実務研修の一環として行った窓口業務にあった。
大阪城に近い入国管理事務所の窓口に座ったのは、昭和46年。担当は、外国人の在留資格取得や、在留期間の更新などの手続き審査だった。目の前に、14歳の少年少女の姿があった。
当時、14歳になると在留期間の延長手続きに本人の出頭が必要とされていた。彼ら彼女らのなかには、前日まで自分を日本人だと信じていた者も少なくなかった。差別を恐れた親に日本人として育てられた在日韓国・朝鮮人の少年少女らだった。
付き添いの父母から、「手続きのため、前日に朝鮮人だと告げた。大変なショックを受けていた」という声を聞いた。直感的に、「彼らは、外国人として入管の窓口に来るべきではない。日本国民として安定した地位に就くべきだ」と感じた。だがこの直感が、自らの人生を決定づけることになるとは、新人官僚は考えてもみなかった。
かつて在日韓国・朝鮮人は日本に一時滞在しているだけで、いずれは祖国に帰る存在だとされていた。日本での定住を議論することはタブーとされ、「この問題に首を突っ込む政治家はいないし、役人も誰もやらなかった」。
52年、そのタブーに挑むように、自らの直感への答えをはき出す論文を自費出版した。
《在日韓国・朝鮮人は日本に定着しており、本国に帰る存在ではない。日本定住を前提に法的地位、国籍取得の問題を考えなければならない》
のちに「坂中論文」と固有名詞で呼ばれる論文に強く反発し、非難を浴びせたのは当の在日社会であり、「進歩的」と称する文化人だった。「同化政策を推進するもの」「帰国の道を閉ざし、祖国を忘れさせるためのわなだ」
論文は活動家の間で回し読みされ、「カラスの鳴かないときはあっても、坂中論文が在日社会で話題にならない日はない」といわれたほどだった。それだけ衝撃的な存在でもあったのだ。
論文が再評価されだしたのは、罵倒から20年を経たころからだった。在日3世、4世ら若い世代に、日本国籍取得の動きが起き始めている。
「日本国籍の取得は、民族への裏切りではない。日本社会のフルメンバーとして責任を果たすためで、日本人との共生への道なのです」
タブーとの戦いは、不夜城新宿でも繰り広げられた。
平成15年、不良外国人の摘発を専門とする東京入国管理局の出張所を新宿・歌舞伎町に開設した。巨悪を摘発する東京地検特捜部になぞらえ、「入管の特捜部」と位置づけた。内偵を積み重ねて強制捜査に踏み切る手法で、歌舞伎町に跋扈(ばっこ)する外国人犯罪集団を挙げていった。
ダンサーなど「興行」を隠れみのにした外国人女性の「トラフィッキング(人身売買)」問題へも、積極的な発言や行動を繰り返した。例えば東京入国管理局長の立場で応じた朝日新聞のインタビュー(17年2月28日付夕刊)では、「興行資格での入国は事実上、外国人ホステスの調達手段で、時には劣悪な条件下の労働や売春まで強いるものになり果てている」「結果として国際社会から『人身売買王国』と批判される事態を招き、現場責任者として責任を痛感している」と語っている。
「殺す」「家に放火する」…。さまざまな脅迫を受けた。暴力団、「呼び屋」といわれるプロダクションからの攻撃もあった。政治家からの圧力もあった。身の危険を感じたこともたびたびあったが、街は確実に変わりだした。
「有言実行」。それが坂中の役人人生だった。
退官し、素浪人となって選んだライフワークは、北朝鮮から逃れた「脱北者」の支援だった。退職金をつぎ込んでNGO「脱北帰国者支援機構」をつくった。
昭和34年から59年まで続いた「北朝鮮帰還事業」では、日本人妻らを含む約9万3000人に上る人たちが北へ渡った。「地上の楽園」に誘われた彼らは「動揺階層」として下層身分に位置づけられ、「地上の地獄」を味わっている。
「北朝鮮は彼らを人質にとり、外交や財源確保などに利用した。これはもう一つの拉致事件だ」と言い切る。命がけで脱北し、日本に戻ってきた人たちは少なくとも約130人。機構は、彼らの家探しや就職、就学など生活の基盤作りを手助けしている。脱北者が日本で安定して暮らせるように。それが北朝鮮に囚(とら)われている人に伝われば、彼らにとって生きる希望となる。
「脱北帰国者は在日社会に残された最大の問題。自分にしかできないことをやります」
新たなアンタッチャブルに挑む目が、厳しさを増した。
(文 住井亨介)
(2007/07/29 09:41)
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