ジェンキンスさん、「拉致」新証言 | trycomp2のブログ

ジェンキンスさん、「拉致」新証言

 曽我ひとみさんの夫、チャールズ・ジェンキンスさんが初めての著書の出版をきっかけにJNNの単独インタビューに応じました。ジェンキンスさんが日本のメディアのインタビューに応じるのは今回が初めてです。 「小さなバッグで、それにジッパーがついてて・・・。めぐみさんはバドミントンを持ち歩いていたが、ラケットはバッグに入らなくて、ユニホームを入れていた」 ジェンキンスさんは今月、初めての著書「告白」を出版しました。この中で、ジェンキンスさんは「横田めぐみさんが拉致された時に持っていた中学のバドミントン部の赤いスポーツバッグを北朝鮮で使っていた」と証言しています。 めぐみさんと約1年半、一緒に2人で住んでいた曽我ひとみさんが1980年にジェンキンスさんと一緒に暮らすことになった時、めぐみさんが「お別れに」と曽我さんにくれたもので、砂糖や卵を買った時に使っていたといいます。  「めぐみさんの名前がマジックで中に書かれていて、消えなかった。ナイロン製のバッグで白地で『17』と。『17』は切った白い布地でバッグに縫いつけてあった。一時期、このバッグを使っていた。北朝鮮では店で砂糖を買うと薄いビニール袋に入れるので破ける。砂糖を買って、このバッグに入れてジッパーを閉めれば、物も当たらないし袋も破れない。あのスポーツバッグは北朝鮮を出るまで使っていた」 また、ジェンキンスさんは著書「告白」の中で、「83年か84年、夜に外貨専用の大同江(テドンガン)百貨店で、女性店員がめぐみさんからの手紙を曽我さんに手渡した」と明かしています。 手紙は差出人の署名もなく、いきなり、「カ・ナ・タ」と朝鮮語の「あいうえお」から始まり、「朝鮮語の勉強は進んでいますか」と書いてありました。曽我さんにはすぐ横田めぐみさんからの手紙だとわかったそうです。 「小さなメモのような、手紙ではなくメモだね。私はひとみに返事を書きたいかどうか聞いたが、ひとみは『いや、危険すぎるわ』と」 「めぐみさんとひとみは姉妹のように暮らしたのだと思う。ひとみはめぐみさんのことを話す時、何度も泣いたよ。何度も自分の部屋に行ってはただただ泣いていた。会いたかったのだと思う」 ジェンキンスさん、曽我さん、幼い美花さんの3人がめぐみさんと最後に出会ったのは84年か85年。ピョンヤンの外貨デパート、楽園(ラグオン)百貨店でした。  「めぐみさんと美花を連れた私はほとんど話さなかった。指導員が『話をしてはダメ』とめぐみさんに言いに来るかと思い、私はすぐにそばを離れて、ひとみとめぐみさんを2人きりにした。(2人は話をできた?)2人は話せた。ひとみに『店員の前で話をして気づかれなかったか』と聞くと、『ううん、商品を見ながら話していたから大丈夫』と」 さらに、ジェンキンスさんは86年に同じく楽園百貨店で出会った日本人の男女がその生い立ちや写真などから、「石岡亨さん、有本恵子さんと一致する」と証言しました。  「女性は厚い眼鏡をかけていたよ。男性はとても上手に英語を話した。ただ雑談をしただけだけど」  その日本人夫婦はテープレコーダーを買いに来ていて、もっぱら男性がしゃべり、その間に女性がガラスケースの中の商品を熱心に品定めしていました。2人はじっと曽我さんのことを見つめていましたが、曽我さんはジェンキンスさんの後ろに隠れ、日本人であることを明かしませんでした。 石岡亨さんとみられる男性についての証言は今回が初めてで、著書で明らかになった拉致被害者をめぐる新事実が注目されています。(10日16:22)
ジェンキンスさん、「拉致」新証言