待ち続ける安否不明者家族…拉致被害者帰国から3年 | trycomp2のブログ

待ち続ける安否不明者家族…拉致被害者帰国から3年

 北朝鮮による拉致被害者5人が帰国を果たした「10・15」から間もなく3年。彼らの日本での生活が軌道に乗り始める一方で、北朝鮮が「死亡」とした安否不明の被害者の家族は、いまも肉親の帰りを待ち続けている。
 その中の1人、田口八重子さん(拉致当時22歳)の兄飯塚繁雄さん(67)の埼玉県上尾市にある自宅には、八重子さんが使っていた木製の食器棚が置かれ、12枚の食器が納められている。

 「何枚か割れちゃったから、本当はあまり出したくはないんだ」

 飯塚さんは食器を食器棚下部の引き出しの奥から、大事そうに取りだした。

 白地に濃紺の塗料でツタの柄が描かれた直径15センチほどの絵皿や、深さ5センチほどの白い鉢状の器。

 テーブルの上に並べられた食器は、一見すると新品のようにも見える。だが、食器の内側には、八重子さんの生活の証しであるフォークやはしの“ひっかき傷”が無数にある。

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 八重子さんは1978年6月、東京都新宿区内のベビーホテルに幼い子ども2人を預けたままいなくなった。

 知らせを受けた飯塚さんは、八重子さんの豊島区のアパートに駆け付けた。2DKの室内は洋服やおもちゃがタンスにしまわれ、食器類も茶色く光る真新しい食器棚の中にあった。

 「戻ってきたら八重子がいつでも生活を始められるように」。飯塚さんは約1か月後に部屋を引き払う際、この食器棚と食器を自宅に持ち帰った。食器は飯塚さんの妻(62)が大事に手入れをしてきた。

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 2002年9月17日、北朝鮮は八重子さんを「死亡」と発表した。一方的な言い分を信じることはできなかった。それまで、残された八重子さんの子どもたちを守るため、マスコミの取材に一切応じず、表には出ようとしなかった。だが、納得出来ない気持ちと、怒りが込み上げてきた。「ほかの被害者家族と協力しなければ」。その9日後、家族連絡会の会見に出席した。

 拉致被害者の5人が北朝鮮から帰国してきた同年10月15日は、政府チャーター機のタラップの下で、帰国した拉致被害者を見つめた。

 「まだ降りてくる人がいるんじゃないか」。飯塚さんは5人が降りた後も飛行機のドアをしばらく見つめていた。だが、妹は現れなかった。

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 「86年ごろまで横田めぐみさんと招待所に住んでいた」「工作員になってでも日本に帰りたいと訴えていた」??。昨年、飯塚さんが蓮池薫、地村保志さん両夫妻を訪問した際、それまでは知らなかった北朝鮮での八重子さんの生活ぶりを聞くことができた。

 今年春には、八重子さんが拉致されてから27年ぶりに当時のアパートも再訪した。「あのころは新築だったのに、こんなにも年月がたってしまった」。記憶の中とは違って古ぼけたアパートを前に愕然(がくぜん)とした。

 現在では家族連絡会の副代表として、活動の先頭に立っている飯塚さんは、近く開催される日朝の政府間交渉に何度目かの期待を寄せている。

 妹は、この8月で50歳になっている。


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