北朝鮮拉致事件捜査、実行犯に迫る | trycomp2のブログ
北朝鮮による拉致事件の捜査が、重大な局面を迎えている。事件の全容解明に向け、警視庁と共同捜査を進めている新潟県警は、蓮池薫さん、祐木子さん夫妻の拉致実行犯をほぼ特定、近く国外移送目的略取容疑で逮捕状をとる方針だ。一方、横田めぐみさんについても、曽我ひとみさんが実行犯を名指しした。事件から28年。かつて北朝鮮の「大物工作員」として国際手配された男らが、実行犯として再び浮上している。(木野正章、月舘彩子)
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■蓮池薫さん(20)=失踪(しっそう)当時、奥土祐木子さん(22)=同=拉致事件■
発生 78年7月31日夕
状況 柏崎市中央海岸にいた2人が、「たばこの火を貸してほしい」などと言いながら近づいてきた男らに拉致された。
拉致から丸25年の03年7月30日、柏崎市で開かれた記者会見で薫さん(48)は、拉致された後、「口と目に粘着テープをされて、その間にちょっとすき間があって、ゴムボートに乗せられた」と説明。たばこの男以外に「3人くらいの男」がいたことも明らかにした。
警察当局は、早くから北朝鮮が事件に関与していた可能性があるとして捜査していた。直後の78年8月15日に富山県高岡市で拉致未遂事件が発生、現場に残されていた遺留品などから、北朝鮮の工作員による犯行とみられたからだ。さらに同時期、福井と鹿児島でも、若い男女が行方不明になる事件があり、関連を調べていた。
蓮池さん夫妻は昨年12月、県警の事情聴取に対し、拉致の実行犯として「朴」と呼ばれる男を名指ししたとされる。
朴は、85年3月に警視庁公安部が摘発したスパイ事件「西新井事件」の主犯として知られている。実在の男性「小住健蔵」さんになりすまし、日本を拠点に工作活動を行っていた。出入国管理法違反などの容疑で国際手配されたが、今も行方が分かっていない。
これまでの警視庁公安部などの調べでは、朴は70年夏、工作船で秋田県男鹿半島から密入国したとみられている。当時は「松田忠雄」を名乗り、東京都内のゴム製造工場などに勤めていた。朴は戦前、愛知県に住んでいたとされ、日本の生活にとけ込んでいたという。
72年に東京・山谷で、道に倒れていた小熊和也さんを助けて信用させ、本籍を東京に移させると、戸籍抄本を使って運転免許証や旅券を取得。「小熊和也」名義でソ連やフランスに渡航を繰り返していた。
さらに、なりすましの発覚をおそれて、小熊さんを北朝鮮に拉致しようとしたが、76年に小熊さんが病死。一時、北朝鮮に戻ったとされる。
79年秋、朴は再び東京の山谷で1人の男性に声をかけた。北海道出身の元旋盤工、小住健蔵さんだった。上京後、肉親とは20年近く音信不通になっていた。
朴は、小住さんに近づき、80年4月、戸籍や住民票を東京都足立区西新井の自宅に移すと、今度は小住さんになりすまし、旅券や運転免許証を取得。海外に6回渡航したことが確認されている。装飾品製造販売会社を設立する一方で、在日韓国人らを協力者に仕立て、スパイとして育成したり、北朝鮮に工作船で密入国させたりした。
しかし、83年2月にマレーシアに出国後、足取りは消えている。事件を摘発した警視庁の家宅捜索では、乱数表や特殊な電波を受信するラジオなどが見つかったが、「朴」の本名などは明らかになっていない。
小住さん自身の行方も、分かっていない。特定失踪者問題調査会は、北朝鮮に拉致されたとみて「特定失踪者」に位置づけている。
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■横田めぐみさん(13)=失踪当時=拉致事件■
発生 77年11月15日夕
状況 新潟市立寄居中学校1年生の横田さんがバドミントン部の練習を終えた帰宅途中、消息を絶った。「事件に巻き込まれた可能性が強い」とみて県警が大々的な捜索を行ったが、発見できなかった。
今年初め、めぐみさん拉致事件の実行犯の名前が浮上した。
曽我ひとみさん(46)が、夫のジェンキンスさん(66)来日後、米軍キャンプ座間に滞在していた04年11月ごろ、激励に訪れた横田滋さん(73)、早紀江さん(69)夫妻に自分の体験を話していた。
78年から約1年半、曽我さんとめぐみさんは平壌郊外の招待所で一緒に生活。そこで朝鮮語などを教えていた指導員の男が「横田めぐみさんを拉致したのは自分だ」と曽我さんに話したという。
曽我さんは、日本に帰国後にその男が辛光洙という名前だということを知ったという。
辛容疑者の日本国内での活動は、85年2月、韓国の国家安全企画部にスパイ容疑で逮捕された際、韓国の法廷で明らかにされている。
韓国当局の発表によると、辛容疑者は80年6月、大阪市の中国料理店で働いていた原敕晁(ただ・あき)さん(当時43)を「よい職場を世話する」とだまし、宮崎県の青島海岸から拉致したとされている。
警察庁は、02年9月、原さん拉致事件に絡み、旅券法違反容疑で辛容疑者を国際手配している。
辛容疑者は、80年4月、宮崎県の海岸から日本に不法入国。原さん拉致後、本人名義の旅券や運転免許証、国民健康保険証などの発行を受け、韓国を出入りするなどスパイ活動を続けていたという。
その後の裁判で、73年夏から3年間、日本に密入国し、76年、北朝鮮に戻ったことが分かった。78年1月から平壌の招待所などで80年2月まで日本人になる学習をしたとされる。
辛容疑者は、この裁判で死刑判決を受ける。しかし、99年12月、金大中・前大統領の「太陽政策」の恩赦で釈放され、翌年9月に北朝鮮に引き渡された。
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■曽我ひとみさん(19)=失踪当時=拉致事件■
発生 78年8月12日午後7時半ごろ
状況 母ミヨシさん(46)と買い物をして帰ろうとしていた曽我さんが、旧真野町の実家から、約100メートル離れた路上で拉致される。
曽我さんの証言によると、実行犯は3人。背後から突然襲われ、袋詰めにされると、そのまま小舟に乗せられ、沖に出たところで大きな船に乗りかえたという。
曽我さんは03年10月25日、佐渡で開かれた集会で、「小舟に乗せられた時、すぐ近くに日本語を話す女性が乗っていた。日本人が話すような日本語ではなかった」と証言している。
佐渡は、曽我さん拉致の以前から、北朝鮮の工作員が活動している可能性が高いと指摘され、県警などで警戒していた。
72年3月、旧小木町の宿根木海岸で、不審船情報を受けて警戒していた警察官が、北朝鮮の工作員とみられる韓国籍の男2人を見つけ、うち1人を外国人登録法違反で逮捕した。スパイと疑われたが、男が黙秘を続けたため、数日後、起訴猶予で釈放された。
曽我さんが拉致された前後には、真野湾沖に停泊中の不審な小型船に関する目撃情報があがっている。
北朝鮮側は02年10月、日本政府の調査団に対し、「現地請負業者に依頼し引き渡された」とした。日本側に拉致の協力者がいたという説明だ。だが、「業者とは金銭の授受を行うだけで、詳細については知らない」ともしており、詳しいことは分かっていない。
また、「工作員が現地請負業者から引き渡されたのは、ひとみさんだけ」とも回答。一緒に拉致されたミヨシさんの安否は、今も分からないままだ。
曽我さんは、拉致実行犯について、夫のジェンキンスさんに「北朝鮮であったことはない」と話しているという。
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