社説:母子失跡事件 一層の捜査体制強化を
34年前の昭和48年、埼玉県上福岡市(現ふじみ野市)に住む32歳の主婦と6歳と3歳の子供2人が失跡した。主婦の夫は在日朝鮮人で東京都内の貿易会社に勤務していた。夫が行方不明になり、主婦は勤務先周辺などを訪れて捜し歩いていたが、2人の子供とともに消息を絶ち、安否は不明。主婦は殺害されたと供述する関係者もいる。この事件で警察庁は、2人の子供を北朝鮮による拉致被害者と認定した。警察庁が認定した拉致事件は計13件、被害者は19人となった。
北朝鮮は、拉致事件は解決済みだとする主張を繰り返している。しかし、この事件にみられるように拉致の実態は明らかになっていない。拉致問題に取り組む特定失踪(しっそう)者問題調査会は三十数人を拉致の疑いが濃厚とするリストに載せている。捜査が進むにつれて被害者はさらに増える可能性もある。真相解明が必要であり、政府は北朝鮮追及の手を緩めてはならない。
夫が勤務していた会社は在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)幹部が関与して46年に設立され、59年に解散した。社員は約30人。医療器具や貴金属の輸出などを表向きの業務としたが、実態は北朝鮮の対日工作拠点だったとされる。調べによると、夫は社内の対日、対韓工作グループのリーダーで、行方不明になったのは、実は北朝鮮に帰国したためだった。
工作員グループは、主婦が夫を捜すことで会社の実態が明らかになるのを恐れ、主婦を殺害し、子供たちを福井県小浜市岡津の砂浜から北朝鮮に向かう工作船に乗せたとされる。
拉致にかかわる活動が北朝鮮からの密入国者だけでなく、日本国内の組織によって行われていたことに慄然(りつぜん)とする。
北朝鮮の対日工作活動は本県とも無関係ではない。38年4月、能代市浅内海岸に拳銃や乱数表、偽造運転免許証などを所持した工作員らしい男2人の遺体とゴムボートが漂着した。その翌月には同市米代川河口で工作員とみられる男の遺体が発見された。さらに56年8月には男鹿市脇本にゴムボートが接岸し、それに乗ろうとした男を男鹿署員が逮捕した。男は韓国籍で、密出国を企てた北朝鮮の工作員とみられた。
本県から海岸線に沿って南下すると、52年に横田めぐみさんが拉致された新潟市、子供2人が工作船に乗せられた小浜市に至る。小浜市の現場は、拉致被害者の地村保志さんと妻富貴恵さんが拉致された場所から5キロしか離れていない。日本海沿岸で許し難い行為が繰り返されていたことになる。
昨年暮れ、警察庁は子供2人の拉致に関する有力情報を入手した。拉致を指揮した後に北朝鮮に帰国した女工作員は、平成14年の小泉純一郎前首相の訪朝までは日本国内に頻繁に電話をかけてきたというのだ。
いま振り返ると、昭和40年代から50年代にかけては拉致事件が頻発したことが分かる。拉致とは気付かなかった当時の捜査力の弱さを嘆いても仕方がないが、長い年月を経て少しずつ実態が明らかになってきた。警察当局は捜査態勢を強化して各事件の解明に努めてほしい。
(2007/04/18 09:30 更新)
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