元同級生「まさか彼が」…「拉致」逮捕状の辛容疑者 | trycomp2のブログ

1978年7月に地村保志さん(50)夫妻を拉致したとして、国外移送目的略取などの容疑で逮捕状が出された辛光洙(シングァンス)容疑者(76)は、高岡市で少年時代を過ごし、北朝鮮に戻って工作員になった後、76年には滑川市の早月川から北朝鮮に不法出国したとされる。高岡市で多感な少年時代を過ごした少年が、なぜ北朝鮮の工作員になったのか――。当時の同級生は複雑な表情を見せる。
静岡県から転校し、「立山富蔵(たてやまとみぞう)」と名乗った少年は、小ぎれいな格好をして身のこなしもスマートだった。
「やはり太平洋側の人は違う」。少年時代の辛容疑者が同市立下関小学校に転校してきた際のことを同市在住の同級生、北林豊さん(75)は鮮明に覚えている。
当時の同小は同市下関町にあり、立山少年は、道路を挟んで向かい側の一角にある長屋に住んでいた。立山少年の家族がなぜ、富山に来たのかは分かっていない。家は廃品回収業を営んでいたという。
その時、クラスに在日朝鮮人は5人いたが、児童たちの間に差別はなく一緒に兵隊ごっこをして遊んだ。同じく同級生だった岡田栄作さん(76)は、昼休みに一列に並んで馬乗りをしたのを覚えている。
立山少年は、スポーツも得意で、とくに相撲が強かった。授業ではよく手を挙げて、はきはきと答えていた。同小卒業後は、高岡工芸学校(現在の高岡工芸高校)機械科に入学した。
県警OB関係者が確認したところでは、戦後、先に北朝鮮に渡っていた立山少年の兄が家族にあてて、「北朝鮮は楽園だ」と書いた手紙を送っている。
情報統制の中で、北朝鮮の実情は手紙の中で書けなかったに違いない。だが、立山少年は兄の手紙が来た後、北朝鮮に向かった。同市内で46年ごろに同小同窓会が開かれたが、そこに立山少年の姿はなかった。
立山少年は、戦中の軍国主義教育の中で「お国のため」と毎日のように言われ、少年時代を過ごした。
同時代を生きてきた北林さんは「戦後もお国(北朝鮮)のためと言われて拉致やスパイにかかわったのだろうか」とかつての同級生に思いをはせた。
「まさか、あのタテヤマが」。岡田さんは複雑な思いを吐露した。
(2006年2月24日 読売新聞)
写真:下関小学校の卒業写真。最上段の右から4番目が、小学6年生の時の辛容疑者。背は高かった(1942年3月撮影)
富山 : 地域 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
