そうくるなら、恋愛漫画・アニメを語るの会 | でたとこTRY@CATCH!

そうくるなら、恋愛漫画・アニメを語るの会

つまり80年代が神の時代だった。
めぞん一刻であり、気まぐれオレンジロードである。

それが昨今では、見ての通りの体たらく。

しかしその中にあって、なぜ、「初恋限定。」が素晴らしいのか。
順を追ってラブコメを考えてみようではないか。

80年代前後、私の記憶が遡れるところまで遡るなら、「かぼちゃワイン」は、まだ最高のラブコメにはなれず、という位置づけ。それは主人公が、容姿的に冴えなくとも、精神的に冴えているからだ。

たとえばそれは、「タッチ」や「らんま1/2」に見られる現象みたいなもので、主人公が何かに秀でているなら、そりゃモテて不思議はないのである。
僕たちが感情移入できるのは、そういうタイプではない。やるときはやる、それも大きなことを。そんな主人公は僕らが求めるラブコメには要らないのである。なぜならそれは僕らからはほど遠いからだ。

「翔んだカップル」。これはなかなかに素晴らしい主人公だ。
優柔不断を代表とする精神的な冴えなさを持つ主人公。まさに、僕らの99%が感情移入したくなるタイプだし、
彼と、本命の少女との間は、悶えたくなるくらいに仲が進展しない。これが良い。

そう、恐らくここで、この後も続く王道ラブコメの約束事が決定するのである。
・情けない主人公
・主人公の良さを知る美女
さらに
・同様に第二の美女
・本命とはなかなかうまくいかないが、第二の美女とならその気になればうまくいきそう。
も加われば、また面白し。

どうだろう。
「めぞん一刻」「きまぐれオレンジロード」はその路線であるし、「電影少女」は言うに及ばず。

主人公にできる格好良いことは、「土砂降りの中、捨て猫にミルクをあげる」くらいのこと。
それなら俺だって、その気になればやるぜ。くらいの優しさに、女性が惹かれてくれる。
これがラブコメにとってベストな状態なのだ。

この黄金のラブコメ時代が、狂い始めたのが90年代。
「らぶひな」「ときめきメモリアル」などが歯車を狂わせた。
情けない主人公の良いところに、たくさんの女性が気づいてしまって、主人公は引く手数多のモテ男と化してしまうのである。
捨て猫にミルクをあげる程度の苦労をせずとも、デフォルトでモテているのだ。

これは一見すると楽園のように思えるが、ラブコメにとって大切な一進一退の攻防を失ってしまった大事変なのである。

ラブコメが築いた主人公の情けなさは、エヴァンゲリオンなどのセカイ系に受け継がれていき、それはそれで、アニメ界を変えていくわけだが、本家のラブコメの方は、この辺りから、どんどんおかしくなっていく。

とりあえず、可愛い子が出ていれば良い。それもたくさん出ていればいい。そして主人公がモテれば良い。
という、フリーザ第二形態へ変身する。
もはや、主人公はモテさえすれば、情けない男である必要はなくなってくる。
たとえば、「クラナド」。ヒロインの渚は、主人公の容姿を「格好良い」と言い、頬を染める。
「ねぎま」でもそうだ。「らぶひな」の頃とはうって変わり、主人公はヤル少年である。
つまり「らんま1/2」や「タッチ」に見られた、容姿やある能力に秀でた男どもが主人公に再臨し、
今度は複数の美女たちにモテる時代になる。

その後の凋落の結果が、今のアニメに見られる現象だ。
もう、可愛い女の子さえ出れば、モテ役の主人公は必要ない、という時代に突入しているのである。
女の子たちが誰かとラブコメすることは、むしろタブーになった。
「らきすた」も「みなみけ」も「けいおん」も、男の影はあってはならぬ。
女の子だけ。それで良い。
視聴者は、脳内で登場人物たちとラブしたりコメしたりすればいい、そんな四次元ラブコメが今である。

これらラブコメの変遷を踏まえて、最初の話に戻ってみよう。
そう。
ラブコメ死滅期の現代に、登場した一筋の光明が「初恋限定。」であったのだ。
「飛んだカップル」の「気まぐれオレンジロード」の、そんな時代への王政復古が高々と叫ばれたのである。
同時期に「とらドラ」も黄金時代に近い設定で開始されているものの、
こちらの主人公は、思い切りが良くて、僕たちと比べれば断然格好良く描かれているのが残念なところ。
これから人気を博すのは、きっと、あの頃へ帰るラブコメ。

さあ!
追い打ちをかけるように、
河下水希先生の新連載、ジャンプでスタートです!

萌えアニメどもからの大政奉還はなるか?