MICHIです。
もう7年経つのですね。
あの日は本当にもう、なんというか、言葉が見つからないけど、
振り返りたくないけど、今日という日に振り返ってみようと思います。
その日は金曜日で、当時OFFの日でしたが、たまたま代行を引き受けていて、職場へ向かいました。
少しトイレを我慢した状態で電車に乗ってしまい、でも、まぁ、25分くらいだから耐えられるって思って
たんですけど、、、到着駅300メートル手前付近で「ぶわんっ!!!」って、つかまってないと、身体が
吹っ飛ばされそうになるくらいの衝撃があって、車体が浮いた感じがあったので、「このまま横転して
死ぬ」って一瞬思いました。
電車は緊急停止したまま、ひどい余震でずーーーっと揺れてるし、電話もネットもマヒして使えなかったので、何が起こってるのかわからないまま、ただただ怖くて震えていました。
そんな中、友人からメールが届いた。あまりのパニックにメールの存在を忘れていた。
電話が繋がらなかった職場にもメールで現状報告。
あと300メートルなのに、指示があるまで外に出られない。恐怖で心身共にやられてしまい、トイレも
限界だった。結局2時間も閉じ込められる訳ですが、ギリギリのところで救われ、それはそれはもう、
サバイバルな体験をしました。
線路を歩いてやっと到着した駅は、人でごった返してた。
慌てて職場に向かうも、「お疲れした!」みたいな感じで、即帰らされ。
((電車も止まってるのに、どう帰れというのだ、、。))
あまりの冷酷さに怒りが込み上げた。
職場も混乱してたのかもしれないが、現場に向かっている私の事なんて誰一人心配などしてくれていなかったという事実。
(トータル7年お世話になったこのジムは、震災から数年後の大雪の日、「帰れないので助けてください」とお願いしたにも関わらず同じ対応をし、自己都合で当日欠勤するなど、レッスンに穴をあける等の契約違反をすると、かなりのペナルティを課せられる雇用形態でありながら、この期に及んで自己判断だと言われ衝撃を受けた。これまで持ち場最優先で本当に頑張ってきたので、、いろんな積み重ねもあってもう心が折れてしまって。。悲しいけど辞めて4年経ちます。)
普段は世間話なんかしてフランクなのに、イレギュラー時の手のひら返しには恐怖すら覚えた。
これにより、帰れない可能性がある時は出勤しない事にしました。
※この経験が、自身のお教室チャレンジにも繋がる訳ですが。
閉じ込められてたせいで、2時間ロスしているので、全てが後手に。
タクシーをひたすら待つしか手段が無かった。たまたまロングダウンとブーツだったのが幸いでしたが、
それはそれはもう寒かった。XJAPANひたすら聴いて鼓舞してました。4時間程耐えた。
お年寄りや小さなお子さんなんかは、特に大変だったと思います。
やっとタクシーに乗っても、道路の混雑で車内に4時間。結局、南行徳付近で降ろされ、まだまだ新浦安は遠い。この時点で深夜2時。何にも食べてなかったので、商品ガラガラのコンビニで申し訳なさそうに残っていたアメリカンドックを購入。外で座って食べていたら、やぼったい男性2人組に「ゴハン食べに行こうよ~あははは~っ」てふざけられて。本当に気持ち悪くて、こんな日に不謹慎極まりなくて心底疲れた。
東西線が臨時運行してくれたおかげで、南行徳から浦安まで電車で移動できた。この時大阪に単身赴任してた主人と電話でやっと話せた。あの揺れと現状を把握していないならではの、のんきな対応にますます疲れて。
さて、浦安から新浦安を通過して、自宅まで歩かなければなりません。レッスンで必要だったスニーカーがここで役立ちます!ナイスです。とにかく早く家に帰りたかった。一番安全でくつろげると思ったから。
過酷な時間も、もう少しの辛抱。頑張れ、わたし!と。
残りわずかな充電の中、歩きながら友人と電話で話していましたが、「TVを見るとかなりひどい状況に
なっている」と言っていて、全く何の情報も入ってこなかったので、その時は何のことやらわかりませんでした。最寄りの新浦安に着いた途端に、道路がぐちゃぐちゃになっていて。のちに液状化と分かるのですが、真っ暗な中、余震で建物がギシギシ揺れる音がすごく怖かった。家に近づくにつれ、自宅は大丈夫
なんだろうかと不安が大きくなる。この時は、まだにゃんこと暮らしてなかったので、それは幸いだったと思う。
自宅到着は午前5時頃。当初は停電していたようですが、復旧してエレベーター等動いていました。
部屋に入ると、部屋干ししていた洗濯物が落ちていて、寝室の姿見が倒れていましたが、ヒビが全く
入ってなくて、奇跡でした。被害はほとんどない。守られました。これで安心してベットで休める、、
と思ったのですが、水が、、水が出ない。ガスもだめ。お風呂に入れない。トイレも行けない。
TVをつけたら、ここで初めて知るのですが、東北がとんでもない事に。衝撃的な映像ばかりが流れて
いて、もうあまりのショックと疲れで眠れなかった。
翌日から自衛隊の給水車が配備されて、朝起きたらまず水を頂きに行く、という生活を3日間ほど経験
した。(※断水は7日程だったようですが、私は3日が限界で、のちに千葉の実家に避難するのですが)
新浦安は局地的な被害だったので、まわりからは大変さが理解されませんでした。仕事も休む事ができず、漫画喫茶のシャワーを浴びてから出勤したり、レッスンをしていても、津波の衝撃映像が頭から離れなくて、完全にPTSD。帰宅困難の影響でひどい風邪も引いていました。
実家に身を寄せても、やはり理解されず、体調悪くて寝ていても、甘いとか言われて全然休まらない。
そんな実家も3日が限界で、しばらく家出状態で漫画喫茶で過ごした。主人も買ってわずか2年程のマイホームの被害状況が私よりも心配な様子。このあたりから涙腺崩壊して一生分の涙が出たんじゃないかっていうくらい、毎日泣いてました。
何より東北の被害が甚大すぎて、申し訳なさすぎて、弱音を吐ける状況ではなかったのも辛かった。
確かに、比べものにならない。命は守られてる訳ですし。
この時優しかったのは、友人の一人、姉や兄、近所の地域活動の責任者の人。有難かった。
付き合いの長い友人でも、「人工地震起こして人口を調節しているんだ」なんて真剣に語っていて、
助かっている自分を棚に上げて、犠牲者の方をなんだと思ってるのかと、心底引いてしまい、
別の長い友人も「意外と元気そうだね」と、やつれた感じを期待していたかのような発言を目の前で
リアルに感じとってしまい、悲しいですが距離を置きました。
被害を受けた事がなければ、人の気持ちなんてわかりっこないのでしょうか。ね。
「そんな事言わないでよ~」
なんて言えればまだ良かったですが、そんな余裕なかったですから。
震災はいろんな事を露呈させ、人間関係や考え方、価値観を変えていきました。
この頃の「絆」という言葉には、本当に嫌気がさしました。絆なんてみじんも感じられなかった。
物資の少ない中、水を大量購入している家族もいたし、そんな美しいもんじゃないって。
自分でもさすがにヤバイと思って、これは笑わなければと、ラーメンズの動画をあさって笑ってました。
なぜラーメンズだったんだろう。まぁ好きですけど、好きだからいいんですけど。ありがとう。
きっと自宅にいたら、自宅なりの恐怖があったと思う。
おかげで地震と電車がトラウマになってしまった。
ちょっとの地震でも怖くてドキドキする。電車も苦痛でしょうがない。激しく揺れるとビクッ!!って。
ようやく最近諦めて、(考えてもしょうがないから)ドキドキしないようになりましたけど、本当は電車に
乗りたくないです。電車に乗らない範囲で仕事をするのが夢です。もう少しかかりそうです。
本当に過酷だったけど、友人A氏の優しさのおかげで、なんとか乗り越えられた。
話をたくさん聞いてくれた。新浦安にボランティアにも来てくれ、不安な電車に一緒に乗ってくれ、
ゴハンを美味しく一緒に食べてくれ、スパの招待券もプレゼントしてくれた。一生忘れない。
この日の事は、経験した方なら、誰もが様々な思い、ドラマが多々あると思います。
7年経った今もこうして、まぁいろいろあるものの、日々健やかに暮らしていけている事に感謝しつつ。
忘れたいけど、忘れちゃいけない日。いろんな意味で原点となる日です。
最後まで読んで下さった方、ありがとうございました。



