#わたしは伊藤詩織氏を支持します
(伊藤詩織さん)
「やっぱり実名で顔を出して話すということは、家族に止められましたし、あの……なんで、妹から言われた言葉を今でも覚えているんですけど、
『なんでお姉ちゃんなの?』って。
『他の人でもいいじゃない?』って。
私は法律に守られなかったってことが一番ショックだったんですよね。『助けて』と言える社会の中のスペースがなかった。
そこを変えていきたい。
あの、待っていちゃダメだと。
私が待っていたら、大事な妹だったり、友だちだったり、が、次の被害に遭ったときに同じことが起きてしまう。
『被害者』という名前ではなくて、ちゃんと、生活があって、その人には、人生があって、家族もいて、誰かの大切な人だった。…ということを伝えるためにはきちんと出て話さなければいけないと」
伊藤さんはスタジオの中で新型コロナウイルス防止のためにマスクをしていた。だが、マスクをして口元を覆っていても、彼女の両目が涙ぐんで赤く染まっているのが見てとれた。
話し方や声のトーン。そのすべてが彼女の語っている思いの切実さを物語っていた。スタジオ中がシーンと静まり返って彼女の言葉に耳を傾けていた。
本当につらい体験をして、その中で覚悟を決めた人間だけが持つ言葉の強さ。それを伊藤さんはテレビ番組の中で見せてくれた。
「バリバラ桜を見る会」でパロディーにされて風刺的に描かれた安倍政権の首脳たち。
伊藤詩織さんのケースでは加害者とされる元TBS記者の男性が安倍首相に極めて近かったことで警察庁幹部の指示で刑事事件として立件されなかったのではないかという疑念を呼んでいるが今も真偽は明らかにされていない。
この番組での伊藤詩織さんはそうした自分の事件以上に、性暴力の被害者になったときに大事にしなければならないことを自分の体験に基づいて語り続けた。
「被害者」という一般名詞ではなく、一人ひとりが顔と名前を持った人間で自分も伊藤詩織という生身の人間だったのだと。
自分には社会の中に「助けて」と言えるスペースがなかったこと。
それを変えたいと考えて、家族に反対されても悩んだ末に自らの顔と名前を出して声を上げたと話した。
その言葉は植松聖死刑囚が「障害者」を一括りにして、「生きる価値がない者」と考えて、一斉に命を奪ったのと同根の考え方を拒絶する強い意思を感じさせた。人を一括りにせず、一人ひとりが名前をもち、生活もある生身の人間だと認めることが、私たちには大切だと訴えている言葉だった。
https://news.yahoo.co.jp/byline/mizushimahiroaki/20200504-00176893/