東北本線を渡る鉄橋から1~2キロ下流で、大正時代の汽車土瓶(駅弁に付き物のお茶の容器)を拾っている人がいるというので、真似をして河原を歩いてみた。土瓶はどうやら、お茶を飲み終わった旅人が、鉄橋に差し掛かると窓から放り投げたものがどんぶらこと流れてきたものらしい。 実物は見たのだが、表には「お茶」裏には「金五十銭」と書かれた陶器で、中々に味のあるものだった。「瀬戸」と書かれたものもあったことから、大量生産の出来る窯で、安価に作られたようだ。時代が移り、ビニールの容器に変わったが不評で陶器に戻るような揺り戻しもあったが、新幹線時代になって窓を開けて売り子さんから駅弁を買うようなこともなくなって、いつしか廃れてしまったようだ。 汽車土瓶はボクの遠い記憶の中に、冷凍ミカンと共に残っているような気がするから、昭和30年代後半まではあったのだろう。 一時間ほどの散策、汽車土瓶は見つからなかったがボクの見立て(あてにはなりません(-_-;))では平安時代のかわらけと江戸時代の盃各1個、先ずは鳴瀬川原考古学の始まり始まりです。  そういえば、ここから20キロほど下流は鳴瀬川が野蒜の浜や大曲浜にそそぐ太平洋。漁師スキーヤーのA 澤さんの定置網に汽車土瓶は入ったことないかなあ。こんど聞いてみようか。 |