| 我が切込焼(きりごめやき)のルーツ、佐賀県有田に行って来ました。 秀吉の文禄慶長の役、いわゆる朝鮮出兵は、勿論豊臣秀吉の大陸進出の野望からのことなのですが、もうひとつの側面は当時の大名間で流行していた茶の湯に使われる陶磁器を争奪する、やきもの戦争の要素が少なからずあったようです。 事実、大名が連れ帰った陶工により島津氏は薩摩焼、毛利氏は萩焼、黒田氏は高取焼等々。ここ鍋島氏からは有田焼(積み出した港から伊万里焼とも呼ばれる)が作り出されました。 ゴールデンウィーク後半の5月4日、念願の上有田駅に降り立ったボクは先ず聖地泉山磁石場に向かいました。 有田の泉山磁石場 有田の泉山磁石場は、鍋島氏が連れ帰った陶工が我が国で初めて磁器の原料である陶石を発見したところです。 1616年(元和2年)磁器の焼成に成功した李参平、後の金ケ江参兵衛は今も陶祖として祀られ、近年になって戒名から墓も発見されました。 陶祖 李参平の墓 有田陶器市は年に2回春秋に開催されますが、春の陶器市は盛大で有田駅から上有田駅までの3キロの道のりにビッシリとやきものの店が並びます。うれしいのは、もちろん露店もありますが、有田の古い民家の中に入って並べられているやきものを見られることです。 今右衛門家 辻家 鍋島藩が育てた伊万里焼や鍋島焼、波佐見焼などの磁器の製造は、統制が厳しかったんでしょうね、その後二百年近く技術の流出はありませんでしたが、1830年代、天保の頃になると秋田藩、仙台藩など、東北の地にも製法の技術が伝わるようになりました。 泉山番所跡 我が仙台藩でも、現在の加美町切込(きりごめ)の地域で採れる陶石により、あるものは伊万里焼にも匹敵するような染付(そめつけじき)磁器、切込焼が作られるようになりました。 三キロの長丁場ということで、今回は途中ギブアップを恐れて、聖地である磁石場と初期の窯が置かれたという泉山のある上有田駅から歩きました。ここ泉山には番所があったんですね。出荷するやきものは全てここでチェックされたそうです。 唐臼(水車) 1キロ近く歩きました。札(ふだ)の辻というところまで来ました。少し染付文様の青と白に酔ってきたようです。染付磁器は英語でブルー&ホワイトと呼ぶとか。そんなことを考えながら、道を尋ね、陶祖の墓に詣で、天狗谷の古窯や復元された唐臼と呼ばれる磁器原料の石を粉にする水車を見ました。谷側から水を流し、水が貯まるとコトリと先端に金属のついた杵が石に落ちる仕掛けです。有田の地をゆったりと時間が流れていたんでしょうね。 川を覗くと、やきものの破片が落ちています。400年前から変わらない風景かもしれませんね。 今度は札の辻を左に行き、陶山神社を訪ねました。 陶山神社 何から何までやきものなんですね。こま犬、鳥居、建物の一部、灯籠、驚きました。 神社のお守りも陶磁器製でした。聞くと神社の裏に工房があって自家製だそうです。ご利益がありそうですから、早速干支と交通安全のお守りを買いました。 お土産は自宅用のスイッチカバーと排水溝のカバーにしました。取り付けてからはスイッチに触るたんびにニンマリしています。気に入ってます。高価なものだったらいろんな思いが交錯するんでしょうが、単純ですよね。 あ、お土産よりもなによりも切込焼のルーツにようやくたどりつけたという安堵感がいいですね。有田は我が心の聖地です。 |


