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胎蔵曼荼羅(部分)

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宝珠寺

京丹後市 久美浜(くみはま)町海土(あま)にある宝珠寺の浅田隆道住職は、海士(あま)の法印さんと呼ばれて地域の人々に親しまれています。

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金剛界曼荼羅

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胎蔵曼荼羅

その海士の法印さんが5年前、陶製の曼荼羅を作りました。

縦3m25cm、横3m10cmの金剛界曼荼羅、胎蔵曼荼羅は二つで1870体もの仏さまのパーツを組み合わせて作った巨大なものです。

大きな曼荼羅は、描いたものや織物にしたものは聞いたことがありますが、陶製のしかもこれだけの大きさのものはおそらく世界で初めてでしょう。

準備段階に10年、本製作に3年、計13年かかったそうです。完成したのは大正15年生まれの住職82才の頃です。

1cmから25cmまでの仏様のパーツが組み合わされているそうなのですが、千合仏(せんごうぶつ)と呼ばれる1cm大の仏様が1個の型から10個作るだけで、他は全て型1個に1つの仏様なそうです。

ですから、1つ一つの仏様が違うお顔をしています。

ボクが言うのはおこがましいのですが、この腕には名のある専業の陶芸家もかなわないかもしれません。

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まんだら会(え)の本堂

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宝珠寺では、5年前から「まんだら会(え)」という、陶製曼荼羅の完成を記念して開眼法要の会を催しています。

秋彼岸の夕暮れ、近隣の住民が三々五々お寺に集まって来ます。懐かしい風景でした。いにしえの日本の人々はこんなふうにお寺や神社を中心に集っていたのでしょうね。

ところで宮城県のボクがなぜここにいるんでしょう?

実は、ライフワーク(ちょっと大げさかな?)の藩政時代の宮城の磁器窯「切込焼(きりごめやき)」の棟梁だった人がここ久美浜の出身だったことから、25年ほど前、地域の陶磁器研究家の方から浅田住職を紹介してもらったのが縁だったんですよ。

でも住職とは電話と手紙のやりとりはしていたのですが、会うのは今回が初めてでした。春に京都旅行の時に足を延ばしたのですが、住職はご病気されていて会えずじまいでした。

今回まんだら会で「切込焼(きりごめやき)」のこと、久美浜出身の棟梁「山下吉蔵」のことを話してくれというお話をいただいて、春に来たばっかりだから躊躇はしたんですが、やはり住職に会えなかったのが心に引っかかっていて思い切って出かけて行きました。

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千体佛(せんたいぶつ)

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干支の龍の置物

住職に会えて良かった!あったかかった~。

久美浜出身の棟梁の「山下吉蔵」って久美浜側では、誰も知らなかったことなんですが、浅田住職は宮城出身の奥さんを持つ檀家の方に頼んで、宮城に2回もお墓参りをしに来てくれてたんですよ。頭が下がりますね。

お土産に千体佛と、龍の置物をもらいました。龍の置物は玄関わきに各干支を飾ってあったものをあつかましくおねだりしました。以前は檀家のみなさんに差し上げていたそうですよ。うらやましいですね。

まんだら会良かったですよ。住職のお経の後、演奏会。今年は、佐渡裕さん率いるキッズオーケストラのメンバー高知の高校生、住職の遠縁にあたる山根君のチェロ演奏でした。ボクは音楽はわかりませんが、一つ一つの音がしっかり出ていたような気がします。最後に「見上げてごらん夜の星」を合唱、良かったですね。

山根君、大成したら自慢出来るなと思っています。

みなさんも来年の秋彼岸の頃、宝珠寺のまんだら会に出かけてみませんか?