一昨日は、東京オリンピック銅メダリスト、円谷幸吉氏の命日だった。

氏は次のメキシコオリンピックの年が明けた1月8日、自衛隊体育学校の宿舎で自らの命を絶った。

遺書は「父上様、母上様、三日とろろ美味しゅうございました。」から始まり、敏雄兄、姉上様、おすし美味しゅうございました・・・・・・・」と、男6人、女1人の末っ子だった幸吉の、父母、兄弟へのお礼から始まる。

お正月の休みに帰った実家で父母が作り、兄弟が持ち寄った食べ物だったのだろうか、その後には甥、姪に立派な人になって下さいと続く。

最後は、「・・・・・父上様、母上様、幸吉はもう疲れ切って走れません。何卒(なにとぞ)お許し下さい。気が休まる事もなく、ご苦労、ご心配をお掛け致し、申し訳ありません。幸吉は父、母上様の側で暮らしとうございました」で終わる。

自殺を賛美するわけではないが、なんと悲しく美しい言葉の数々だろう。

・・・・私ごとだが、8月末から始めたジョギングがまだ続いている。日に6~7キロで週4~5回だから、病み付きと言っていいかもしれない。慣れてくると、時折息苦しくなくなる時の爽快感、走れない日の「食っちゃ寝罪悪感」、これは走ってる人にしかわからない感情かもしれない。

幸吉はその前年アキレス腱を断裂し、ヘルニアの手術も受けた。

当時自殺の理由の世間の見方は、自衛隊に所属していたこともあって、国家や国民に対しての責任感からだというのが大半だったようだ。でも素人ランナーのボクは、自分の体が思うとおりに動かない辛さだったような気がする。

もちろん今度は銀、或いは金メダルを取ってみんなに喜んでもらいたいのは当然だが、ボクの乏しいジョギング経験から言うと、体のことを考えずにまた自由に、爽快に駆け回りたい、最後はたったそれだけが彼の願いだったような気がしている。

※参考図書 ㈱講談社 長岡民男著 「もう走れません」