「鳥海山」庚午(かのえうま 昭和5年) 佐藤紫烟
鳥海山は東北地方の岳人にとっては憧れの山だ。周辺の山に登って見えた時には、帰ってきて「鳥海山が見えてね~」というような言い方で自慢話をする。ちょうど中央における富士山のような存在なのだろう。
一年ほど前の一関に向かう途中、旧知の古美術商、花泉の「セコンド」さんに立ち寄った時、鳥海山が描かれた額を見つけた。いわゆる「なんでも鑑定団」の言うコンディションの悪さのためもあったか、江戸時代の画家が描いた鳥海山だと思った。
店主の阿部さんも江戸時代だよと言う。まあ、江戸期に描かれた鳥海山なら悪かぁない。大幅ディスカウントしてもらって持ち帰った。
佐藤紫烟(紫煙)・・・・一関出身 明治7年生まれ。調べてみると明治の初めの生まれで昭和の初期に亡くなった画家だった。画に書かれた庚午(かのえうま)は昭和5年だった。(紫煙の雅号は煙草好きからつけたのだろうか?)
残念だが骨董的価値はあまりないようだ。すると富士山風に描かれた山も、ろくに見ないで描いたのだろうか?急速にこの画への興味も萎えてしまった。
なにげなく去年のバックカントリースキーの写真を見ていたら、見たことのある景色が見えた。月山山頂から弥陀ヶ原コース方向を振り返った時に撮った鳥海山だった。
すると手前に見えるのは小山は月山森、天主森か?どうやら紫烟さんは、芭蕉さんも登ったという羽黒山から続く参拝の道を戻る時に見えた鳥海山を描いたようだ。
ごめんなさい紫烟さん、これからこの画大事にしますね。

