釜神1 眼はやきものの高台部分を貼り付けてある。
今日は釜神(かまがみ)さまを紹介しようと思います。
釜神さまは、昔、と言っても江戸時代から戦後間もなくの頃まで、宮城県から岩手県南部までの仙台藩地域の民家の台所の守り神でした。
釜神2 典型的な土製。土台の柱は当時のまま。
釜神には、1と2のような土製と、3と4のような木製の2種類があり、「竃神」と表記されることもあります。
この辺りの典型的な昔の民家は、南側から見て、右手の方から入ると土間があり、奥に竃(かまど)と台所。釜神様は、その空間の柱や大黒柱に、あたりを見守るように張り付けてありました。
釜神3 宮城県北のやきものの窯場にあったもの。
釜神さまに魅せられて10年ほどになるだろうか?そんなのバチあたりじゃないの?と言われたこともあったが、「気持ち悪いと思ってるうちは、未熟者だよ」とか言って、あたりを煙に巻いていました。
釜神4 デフォルメされた表情、〇〇根 元首相?
釜神は、展示資料的な価値から言うと、出来ればあるがまま、そして柱ごとが理想的です。
釜神5 目はタマゴの殻
一見、自由に製作された釜神ですが、いくつかの決まりごとがあります。ひとつは、新築時、大工さんか、左官屋さんによって作られます。また、眼は必ず光らなければなりません。一番多いのは牡蠣の殻(かきがら)。染付け磁器のかけらなども多い。いつぞや、呉須(ごす)と呼ばれる、やきものの、染付け絵の具の青い線が、血走った眼に見えて、ハッとしたことがありました。
釜神6 目は彩色。風貌からウルトラマンと名付けました。
宮城県の桃生出身の左官、いつも裸でいたから、「はだかかべ」と言われる人のものは、写真と、2、3の実物を見ただけですが、素晴らしいものです。そこから三陸海岸にかけては、「気仙大工」という優秀な大工集団の地。大正から昭和にかけてそこで活躍したのでしょう。
釜神7 紅白の鉢巻が印象的です。
釜神8 裏銘から大正7年製作だとわかります。
釜神は、釜男(かまおどご)とも呼ばれていました。
時には、秋田男鹿半島の「なまはげ」のような使われ方もしたそうです。「言うごど聞がねど、釜男くっとぉ~(来るぞ)」と言うふうに。
釜神9 ダルマをイメージしたものでしょうか?
その昔、病院での死はありませんでした。死はいつも生と隣り合わせ。人々は祈らざるを得ませんでした。
釜神10 パンチパーマではありません。仏像の頭、螺髪(らほつ)です。
竃(かまど)と言う言葉は、単に煮炊きをする竃と言う意味だけではなく、所帯、身上(しんしょう)の意味を持ち、身を持ち崩す、財産を失うことを「釜戸を返す」などとも言うようになりました。
ですから、釜神さまは、単なる火伏せの神と言う意味だけではなく、その家の繁栄を守る神様なのでした。
釜神11 毛髪は縄
髪の毛でしょうか、鉢巻でしょうか?こんなふうに本物の縄を編んで表現したものもあります。
釜神12 木製
木製でしっかり造形してあります。自分がチャランポランですから、こういうきっちりとした作りには憧れます。
釜神13 目は王冠
「眼は光ってなければならない」の大原則からすると、王冠、今は錆びていますが当時はキラキラしてたんでしょうね。この王冠の酒屋さんは、現在酒問屋を営んでいます。いつごろまで、酒(或いは醤油)作りをしていたのでしょうか?調べたら、製作年代もわかるかもしれません。
いかがでしたか?釜神ミュージアム。気持ち悪いと思った方?修行が足りませんね。感動した方、ボクと同じ病気です。死ななきゃ治りませんね。
昨今は「釜神ブーム」で、製作教室なんかもあるんですよ。
でも、あまり教えたくないんですが。教室で教えてる人、製作販売してる人の作品、今ひとつ違うんじゃないかと思ってるんですよ。上手なんですけど、その人たちのイメージは、山門の仁王さまや、金剛力士なんです。
釜神って、神様なんです。恐いだけじゃ、とんがってるだけじゃあ、ダメなんですよ。オレみたいなダメな子も、もちろん出来るいい子もみ~んな慈悲の心で見守ってくれなくちゃダメなんですよ。
恐いけどあたたかい、それが仙台藩の「かまおどご」なんですよ~












