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仙台大観音



仙台市の丘陵地に、「仙台大観音」が市街地を見下ろすように立っている。

高さ100mというが、高いところに建っているので、とてつもなく大きく見える。

正式名称は「仙台天道白衣大観音」というらしいが、中山という地域にあることから、仙台の人々は「中山の観音様」或いは「観音様」と呼んでいる。

一帯を開発した創業者が、成功したのは「観音様のお陰」と感謝して建立したという。

1991年(平成3年)完成と言うから、もう20年近くになる。

ボクを含め、建ったばかりの当時、市内のどこからも見える巨大な観音像に、眉をひそめた人は少なくなかった。

最近所要があって、久しぶりに観音様の足元を訪れてみた。

しばらく前から、自分の中に違和感が薄らいできて、方角の目印になったりしていたこともあるが、これはこれでいいのかなと思った。

話は飛ぶが、奈良の大仏は、天平時代と言うから、今から1250年以上前に建立された。

当時も、ボクのようなへそ曲がりはいただろうから、冷ややかな目で大仏を見る人はたくさんいただろう。

しかし今、「奈良の大仏」を見て舌打ちする人は、皆無に近い。

ということは、「仙台大観音」もそのうち、誰も違和感を持つ人はいなくなるのだろうか?

宗教的なものを、好むと好まざるとに関わらずの多数の人に見せつける。本来あってはならないこと。

こんなふうに当初の思いが変わるということは、ある意味ボクにとって、「敗北感」を味わうこと。

こんなことが何度か続くと、自分の判断力も、つくづくいい加減なものだと思ってしまう。